目醒め・統合ワーク

統合ワークでジャッジを手放す。そのジャッジとは何か?判断や感想との違いは?

「感想とジャッジの違いはどういうことですか?」
「例えば、人を見て綺麗だな、綺麗じゃないなと感想を持つことはジャッジなのでしょうか?」

というごもっともなご質問をいただきました。

僕もこういうことはよく考えてきました。

人と場合によって
ジャッジと感想の関係性はさまざまだと思います。

例えば図にすると…

そもそも「ジャッジ」とは何だろうか?と言う話だと思います。

それで答えが出るはずです。(ただしそれは常に流動的です)

ジャッジ…非難や非難に近い、分離・個が前提。色(色即是空の)が濃いもの

例えば、
「今、非難、批判、ジャッジを手放すことが一番大事」
と聞いたりしますよね。
例えば並木良和さんから何度となく聞いてきました。

この時の「ジャッジ」とは、
非難や批判に近いものかもしれません。

場合によっては
攻撃性・相手を責める・揶揄する波動(感情・思考)を含んでいたり

少なくとも
他者と自分の「分離」がベースにあるはずです。

この場合の
非難、批判、ジャッジは、通常、「分離」がないとできないことです。

(「統合」「覚醒」「目醒め」「ワンネス」の真逆ですよね。)

他者との分離がゼロならば、攻撃したり責める相手も、主体(自分)もいないからです。
それは例えれば、世界にたった一人の状態です。

ジャッジ…審査や判定、個・色(色即是空の)が薄いもの

一方で、「ジャッジ」と言う言葉は、
「極めて純粋に判定する・審査する」といった意味でも使われますよね。

例えばサッカー等のスポーツで、
「ボールがラインを割ったかどうか?」を
審判が目視で、もしくはVAR(録画映像)で、判断する場合です。

目視ではどうしても人間の認知機能の限界があり
補完するためVARも使用されますが、

認知機能の限界の有無があるにせよ
審判はルールにしたがって、状況をジャッジします。

そこに主観(個人・個性)はなく、ルールに合うか?合わないか?判別する「機能」があるだけです。
基本的に「個」はありません。

ジャッジという言葉に含められる意味としては、
「個」「主体」「主観」が存在し、攻撃性といった「色(色即是空でいう色)」の度合いが濃いものから

ルールや規則に従って判断・判別・審査する、「個」「主体」「主観」が無い、色即是空でいう「色」が薄いもの

まで、さまざまですよね。

そして問題は「感想」ですよね。

「感想」とは、「個」「主体」「主観」「色」であることは、
普通、間違いなさそうです。

「感想」には、
攻撃性を含む、
中位、
全く含まないもの
まで、さまざまでしょう。

そして、
人の容姿を見て「美しい」と思うか?思わないか?
この判断はどのようにして起こるのでしょう?
これが意味するところは何でしょうか?

例えばですが、
「私は、こういうものが美しいという基準(フレーム・枠)を持っています。
Aさんはそのフレーム内だから美しい、
Bさんはフレーム外だから美しくない
と判断します」

ということが起こっていることを、証言しているわけです。

要は
「私のフレーム内?外か?」
を判断してるだけなんです。

(この時、ジャッジしている、という言葉を使うこともできるでしょうし、
育った環境、経験したこと、学んだこと、刷り込まれたフレームであることが普通です。
もっというと洗脳です。
質問の本質の授業では、これがいかに幻想でしかないか?ということをお伝えしていますよね。
例えば、日本人とフランス人で年齢と容姿の関係って認識が結構違います。
日本人が当たり前に持つフレームが海外では全然違うとかありますよね。本当生まれ育った環境と経験次第です)

(日本人はアンチエイジングを求める気持ちは企業によって刷り込まれている部分があると思いますが、
僕も男性だからそれほどじゃないかもですが、実際そんな気持ちがあります。
でもフランスでは老いをそのまま自然なものとして受け入れる傾向があったりで、文化次第なんですよね。
でも日本も昔ほど例えば白髪を気にしなくなったのかなと感じます。昔は男性は政治家の方とか不自然に髪が真っ黒な方が多かった気がします。日本もこれから変わっていくんでしょうね。)

このことは
・美味しいかどうか?
・楽しいかどうか?
・時間やお金があると思うか?足りないと思うか?
・未来に展望をもてるか?不安に感じるのか?それとも恐怖なのか?

などなど
あらゆることで「私の中のどの基準・フレームに入るか?」を無意識に判断していますよね。
「正」「反」が常に僕らの中で生じます。

その正反は、「個」である限りは、「私」というフレームの中です。

「私」というフレーム内の、大小さまざまフレームの内外で、間で、右往左往するのが「人間」です。

この無数の、多種多様なフレームを自由に移動する、もしくは全て出てしまって
「個」を超えて「全体性(ワンネス・根源側)」に出てしまおう、
というのが<デフレーミング>です

<デフレーミング>は「質問の本質の授業オンライン講座3.0」全体でお伝えしていることであり、

正反統合ワーク」「ワンネス体感ワーク」各オンライン講座とも、「大きな(多重の)デフレーミング」を起こすものです。

<デフレーミング>であることに変わりありません。

例えば僕は「モネの睡蓮」が好きですが、やはりそう言うフレームを持っているだけですし、
なぜ僕らが美しいものを求めて美術館巡りなり、美味しいものを求めて旅行するのも、一定の感動なり波動に浸りたいからで、それは突き詰めるとワンネスに帰りたいからで、ワンネスとはノンフレームの状態です。
自らハマってるフレームから脱したいのに、
自分のフレーム内で美しい・そうでないを追求する、この人間意識というものは
改めて興味深いものだと思います。

あらゆる衝動、欲求も感情も、思考もワンネスを求めて生じていますから、
ワンネスに浸りさえすれば不要に、自由になります。

ただ、一番怖いのがフレームに無自覚だということです。
一番、支配され、洗脳され、苦しみやすくもあると思います。

 

 

「感想とジャッジの違いはどういうことか?」

これは本当に誰しも一度は考える、重要な問いだと思います。

そして、そもそも自分はジャッジと言う言葉を
今、この場面では具体的にどういう意味で使っているのだろう?

これを意識化することだとも思います。
僕らは自分が使う言葉の意味を、通常無意識に想定していて、
しかもそれが他人も同じ意味を持っていることを前提に使いがちです。

この方は
そこに気を遣われていて、このようなご質問をくださったと思います。
自分がどういう意味で言葉を発しているのか?
気づいていることはとても大切なことですよね。

本当に大切なご質問をいただきました。

それで答えが出るのではないでしょうか。(常に流動的ですが)

少しでも参考になれば幸いです。

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