3次元世界脱出・この世の仕組み・審神者

M6存在の中心<点>と各チャクラ・各センター

皆さんは
自己存在の中心<点>・起点を
現段階でどのように体験しておられるでしょうか?

僕が<点>をどのように体験しているか、これまでもシェアしてきましたが

今回は改めて、
「胸、みぞおち、臍下丹田の各チャクラ、各センターと、
根源、ハイヤーセルフ、魂の自分と人間としての自分を
どのように体験してるか」
もあわせて、

<点>について話していきます。

(動画解説はこちら)

存在の中心は<点>に落ち着く(理由)

改めて、僕らの存在の中心は「無」です。

最初から<点>である必要はないのですが、
以下のようなことから、
自然に極小・不変・不動の<点>になってしまいます。

「そうしよう」「いやどうだろうか?」といった次元ではなく
「そう」なんです。

その「無」は、
「この次元(本当は全ての次元)の存在」の起点でもあり、
「この存在」にとっての「体験」の起点でもあります。
空間も距離もありません。
温度も、色も、光も、感覚も、何もありません。
全てがゼロです。

「この意識」からすれば、振動、波動、エネルギーすらありません。
無です。空が空のままです。

「その先」には「すべてがあります」が、「この存在」の「中心」の=「中の中の中」には何もありません。

しかし、<点>からほんの少しずれれば、急に色、音、感覚、距離も広がりも位置も生じます。
空から色が生まれます。空であり色。空即是色が延々と表現されます。空のままではいられません。
だからこの世界は豊かなように思えるのです。
もちろん、すべて見かけであり、すべてが幻想であると言われることもわかるでしょう。

丹田と、存在の中心<点>

例えば
丹田を使う、丹田に意識を出来得るかぎり、100置くこと、僕もその時々に実践してきました。

僕たちが丹田に意識を100%おけるとしたら、人間存在としてはこれは相当強力です。

丹田とスポーツ・バランス・持久力

例えば、スポーツの分野でも影響は大きいです。
もっと単純には、小学校の時に平均台ってありましたよね。
細い木材の台の上を歩く運動器具です。

平均台を歩くような、体のバランスを要求される時、

  1. 丹田を感じながら歩く、あるいは丹田に意識を落ちつかせて歩く場合と、
  2. 意識が上半身の上のほう、頭にあって思考がぐるぐる回っている状態で不安定な場所を歩く場合

では、1・2の、結構大きな違いを僕たちは感じることができます。

バランスではないですが、筋トレ、ストレッチ、ジョギングなどでも、例えば持久力の違いを実感できます。

丹田とマッサージ

マッサージでもそうです。

  1. 丹田に意識を置けているマッサージ師さん、
  2. そうでないマッサージ師さん

とでは、効きが違います。

丹田とネガティブなエネルギーを浴びせる人(エネルギーヴァンパイア)

あるいは、
人からネガティブなエネルギーを浴びせられる時はどうでしょう?
何が起こるかというと、
プラスのエネルギーを奪われるという現象になります。

短気な人、怒る人、こちらを怒鳴りつけてくる人は、
ネガティブなエネルギーを僕たちに浴びせているようですが、
そのことで僕らのエネルギーを奪おうとしています。

そういう状態の方々はエネルギーレベルが低い、枯渇しているのでエネルギーを取れる人から取ろうとします。
エネルギーバンパイアと言う言葉がありますが、これは本当です。

しかし僕たちが丹田に意識をできうる限り100置く時、
宇宙のエネルギーを通す導管となります。

流れとしては
その方が怒鳴ると、僕らのエネルギーがその方に流れますが、流れた分、寸分違わず宇宙から僕たちにエネルギーが供給されます。
なので、怒鳴られれば怒鳴られるほど、気持ちよくなります。

そしてエネルギーが枯渇した方へ宇宙エネルギーを供給する役目を引き受けることができます。

それが「たった丹田に意識をできうる限り100おくことによってできると言うことで
なんと素晴らしいんだろう!」と思います。

丹田とパワハラ

僕は上司や、外部にいわゆるクレーマーの方に
1時間2時間ときには3時間ちかくパワハラをしていただくことがありましたが、
こうして導管としての役目をさせていただいていました。

ではこの丹田にできる限り100意識を置く事を、改めて観測してみると、
ある起点・<点>が別にあることが僕には体感されます。

「丹田」・「丹田に意識を100置くこと」と、起点・<点>

できる限り100丹田に意識を置いているのに、
その<点>は相変わらず存在していて、
丹田自体は突き詰めると極小の点になりますが、
無にはなりませんし、位置があり、座標があります。

さらに丹田に意識を100置いた状態(体験)も、
一定の広がりがあり、色があります、やはり無ではありません。

それを感じているスタート地点があります。
まさに起点です。
この体験を描写する起点となる極小の<点>があり、
それは位置も空間も移動も音も温度も体感もない無です。

この無である極小の<点>と、
丹田を突き詰めたときの極小の点は、
言葉としては同じく「極小」ながらも、
有と無、色と空と言った明確な違いがあります。

全ては、「色」であり「空」です。
全て「空」であることに違いはありませんが、
僕が体験している、見いだしている存在の中心<点>以外は、常に空の中の色として現れています。

しかし存在の中心<点>は、
認知される以上完全な空にはなりませんが、
ほぼ空の状態が常に保たれています。

通常の意識からすれば無となります。
「通常の意識からすれば」と言うのは、
それとは別の次元が上がった意識からすれば、その無であるはずの<点>に、全てがあると感じる、知覚するからです。

なので改めてですが、「通常の意識」からすれば、無を探せば良いと言うことになります。
つまり各種データがないと言うことです。

データとは、位置情報(距離、方向。空間含む)+主に外的五感内的五感の組み合わせです。

これが伝わるでしょうか?

鳩尾・太陽神経叢と、存在の中心<点>

では鳩尾はどうでしょう。
僕の場合、みぞおちに意識を出来る限り100置くとき、より大きな自分の存在、意識に気づきやすくなりまます。

普通の物体みたいに触れることはできませんが、
感じることができて、振動もあって、色もあります。

ただし肉眼で見える色ではありません。
内的な目で見る、内的な視覚で見ることができる色です。

この意識は、個があります。
人間のような個ではありませんが、まだ個があります。
もし言葉にするとしたら、「魂の自分かもしれない」と思います。

そうした高次の意識を感じる・見る・聞くセンターはみぞおちになりますが、
その体験全体を認知している(描写している)起点は、やはり残ります。

魂の自分にアクセスしている状態全体は、この起点、<点>から見られている聞かれています。
作者がこの<点>を介して描写しています。

胸・ハートセンター・ハートチャクラと存在の中心<点>

さらに胸に意識を合わせると
全てと僕らがその時にでき得る限りつながることができます。

例えば魂よりも高次の何か・意識に気づきます。
それは魂と違ってほとんど個性はありません。
魂のように色もありません。
無色透明の水、または空気のようです。

ただ在ることがわかるだけで、完全なる空ではない、かすかに色がある感じです。

同時にさらに大きな高次よりのものとして、
その全てを見ている、ただ気づいている何かがある、
「もし神様に目があるとしたらこれが神様の瞳かもしれない」と思うような
ただ純粋な気づきがそこに広がっている、満たされている事はわかります。
ここには個と呼べるものはありません。

ただ、僕達は人間を長くやっていると、
「この胸からつながる範囲がとても限定的だったりする」と思います。

それは、
近しい人の表情、態度、言葉、エネルギーから
過剰に影響を受けたり、
目の前の現象に対して、ハラハラ、ドキドキしたり、わくわくしたり、苦々しく思ったり、苦しくなったり、
現象界のスクリーンが変わることによって安心できたり、ほっとしたり、目まぐるしく変わります。

ハートはとても敏感なので、その受信場所として、とても人間的に働きます。
僕らの若い頃の恋愛感情も、ここで起こることが多いのではないでしょうか。

他にも例えば「共感」も胸でしませんか?
胸は共感しよう共感しようと言うところがあります。
女性は、男性よりもその傾向が大きめなことが多いのではないでしょうか。

それが適当であれば共感力が高い、
過剰であれば感じすぎる・いわゆるエンパス
と言うことにもなりそうです。

ある意味僕たちは、
周りとつながる、共感することを止められません。
何故かと言うと、これは生存の本能からくるものです。

僕たちはほんの数世代前まで「仲間外れになること」=「死」を意味しました。
仲間外れにならないために、共感する事は必須の能力です。
特に日本社会では。
後はそれが過剰なのか不足なのか適切なのかですよね。

もしかしたら、左脳レベルの強い人であれば「俺は頭で共感するよ」と言う人もいるかもしれません。
ただそういう人でも本当は「言っている事は理解できてるよ」など、言い換える方がもしかしたら適切かもしれませんよね。

ともかく、胸は、全てとつながろうとする、言い換えると共感しようとする、情報を受け取ろうとする場・メディアです。

この近距離とつながる濃度が強すぎるので、
より細やかな高次の3次元外につながろうとするのであれば、
この影響をある程度おさめる必要があります。

平易な言い方では「自分軸に立つ」です。
これは僕の場合でいうと「質問の本質の授業」での2.0パートのコンテンツで体現してきました。
(3.0パートは自分軸から全体軸になりますので)

改めて丹田と<点>、丹田とグラウンディング、胸・ハートとの役割分担、人間存在として。

今回の話題で言うと、丹田に意識を100置くつもりでokです。
慣れていないと、なかなか意識を丹田に本当に100置く事は難しいので、そのくらいのつもりでちょうどいいと思います。

まずは丹田、この世界にがっつりグラウンディングする、そうするとハートは近しいところだけに反応しなければならない状態から脱することができます。

目の前の現象界から受ける影響はほどほどにして、
3次元の中でも、自然に宇宙に、もう少し具体的なところでは、例えばパワーストーンといった鉱物に、つながりやすくなって、さらに3次元を超えた高次にもつながることがしやすくなっていきます。

やはり、僕たちは3次元の、肉体を持った存在なので、まずはこの世界でこの肉体でのグラウンディングが、プライオリティーが高くて、
そのためには丹田が、僕の場合は、めちゃくちゃカギになってきたという実体験があります。

例えば丹田を使うことで、表面的にはパワハラとしか思えない現象に、病気で苦痛だとしか思えない現象に、神の愛を感じる余裕が出てきます。

人間として生きていくだけならば、丹田だけで充分かと思います。
これだけでも相当やりがいがあります。

作者は<点>から閲覧、描写する

以上のような、まず、丹田をベースにしてハートを使うといった、いち連のこともやはり存在の中心<点>は別にあって、この<点>から全てを閲覧していますし、作者側からすればすべてを描写しています。

では、
僕の場合、その<点>はどこにあるか、この場でシェアすることは簡単ですが(コミュニティ・ミーティングの中ではシェアしてしまっていますが)、主催者という立場上、改めての明言は控えようと思います。

コミュニティメンバーの皆様引き続きよろしくお願いします^^

各講座について

心理学・物理学・スピリチュアルを統合した3講座を運営しています。

(1)まずは自分軸を取り戻す(眠りを卒業する)
★「質問の本質の授業」オンライン講座

本質・ワンネスを思い出すベースとなる講座です。

5次元意識・時間の使い方、現実創造もカバーしています。
質問を通じて多次元意識も思い出します。
まずはここから。眠りを抜けないと始まりませんよね。

(2)ポジティブ・ネガティブ、光・闇…二元性を超えた「純粋観照者」を体験する
★正反統合ワークオンライン講座

ワンネスに還る前に通常通るのが「純粋観照者」です。
人間意識とはまったく違うクリアな意識を思い出します。
「これまで自分がいかに小さかったか!」ワーク後に驚かれるでしょう。

(3)そしてワンネスを思い出す、ワンネスへ浸る
★ワンネス体感ワークオンライン講座

そしてついにワンネスへ…「純粋観照者」さえも包含する根源の意識を体感します。
一度味わったスウィーツの味は、肉体次元でもいつでも味わえるようになります。

「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ご意見・質問・感想はどんなことでもお気軽に^^(メールアドレスが公開されることはありませんのでご安心ください。日本語が含まれない文章[英文のみ等] は投稿できません。)