スピリチュアル

全体性と統合、3種の質問によるアプローチ

今月は「全体性と統合」と言うテーマでシェア会を開催します。当日参加できなくて「録音してもらえませんか?」と言う方がいらっしゃるので僕がシェアしようと思う内容を書きます。(シェア会の録音はしていません)

僕は、「全体性とか、統合が完了した状態を少なくとも一端でも体験しましょう」というワーク(ワンネス体感ワーク)をお伝えしています。(もともと僕らは「それ」です。「すべてをそこから始めましょう」と言うことなんです。)

それに対して今回は60分のシェア会全体でみんなで意識を引き上げて、全体性を体験するような、60分が一つの大きなワークのようにもなるかもしれないと楽しみに思っています。

ワンネス体感ワークは、体系的・比較的スムーズな・ある程度予測可能な体験です。シェア会だと参加者同士で有機的にどう進むか?予測はできないけれど、全員でお互いの意識を底上げするような、拡大させるような時間になりそうだと思っています。何が起こるだろう?と楽しみになります。

では何をやるのか?というと

僕から一連の問いかけをするので、みんなで思うこと・感じることをシェアしてもらって、お互いに「なるほど!」となっていく感じです。

でも一連のその問いかけを1人でやっていてもある程度効果はあるでは?と思います。むしろやり方、意識の状態によっては結構・影響大かもしれません。最悪「個」が崩壊すると言う事はないと思いますが、個人を超えて全体性に親和することがが深くなっても全然オーケー、構わないと言う方だけ、続きを読んでほしいと思います。

どんな質問をしていくのか?これは僕のこれまでのがっつり三次元からスタートした経験上質問してきて良かったことで(今でもバッチリ3次元ですが)、大きくは3つのタイプになります。「私」とは何か?を調べて、「全体性」とは何なのか?「私」とどう違うのか?もしくは違わないのか?に出会っていきます。

(この内容は元々は動画でシェアしたものでした)

全体性と統合…3段階の質問

  • 1.「私」とは?いつから・いつまで・何が「私」…?
  • 2.外界と「私」(原子レベル〜)
  • 3.外界と「私」(認知・量子レベル〜)

1つ目は、僕らが「私」と思っているものは『いつからどのように存在して、いつまで続くんだろう?』『「何」を「私」としているのだろう?』といったことをみんなで調べていく質問です。

このことすら「私」がやっているのかと思うと非常に面白いですが。本当はやっていませんが。
これは哲学的な、心理学的、生理学的な質問です。スピリチュアルは関係なく、五感の世界でアプローチしていけるものです。

2つ目と3つ目は「私」と「外界」を比べながら、全体性を理解したり、体感したりしていきます。 これは特に生物学的、物理学的なアプローチです。

私と外界、自然、他者との区切りを見直すことになります。区別が薄くなったり、曖昧になったり、つながりとか一体感をもっと感じるようになったりします。これは実際的で、まともなことで、全くわからなかった過去の自分が異常だったなって思います。
(異常もまた良いんでしょうけれど)

2・3も五感のみでもOKなんですが、量子力学とか波動の世界が絡んできます。なので第六感以上の感覚とかスピリチュアルな感性も関係してきます。感性があれば便利だし、養う機会にもなると思います。

では具体的にどんな質問をできるのか?紹介します。

1.「私」とは?いつから・いつまで・何が「私」…?

1つ目は「私」はいつから私だったんだろう?いつから私がいたんだろう?ということを考えています。

つまりその質問をご自身にすればいいです。必ずしも明確に答えが出て来なくてもOKです。

質問をして、リラックスして全身の力を抜いておきます(力を入れると思考が回りやすいです)。質問して、何かイメージが浮かんだり、フレーズが浮かんだり、感覚がわいたりするゆったり待つ位がいいかなと思います。もちろん明確に答えが浮かんでもOKです。

例えば、「赤ちゃんの時に私はいたんだろうか?」といった質問です。
他のは「何かに対して「嫌だ」「うん!」と言えたら、自我が芽生えたときに、私は生じたんだろうか?」
何かを見たら掴もうとしたり、お母さんを見たら微笑んだり、知らない人を見て泣いたり、一定の刺激に対して反応することが増えていきます。そんな反応パターンの集積したものが、自我と言われ、それが私なんだろうか?そんな脳内に集積した回路が私なんだろうか?

それとももっと大きくなって社会の洗脳から、周りの洗脳から脱して、初めて私になるんだろうか?本来の使命に目覚めたり、本来の自分を思い出したら、覚醒したら、全てを削ぎ落としたら、それが私なんだろうか?

こうして質問したり、思考したりしているのも、反応パターンの集積があるからだけれど、これが私なんだろうか?もし反応パターンの集積がなければどうだろう?

すべての反応パターン、回路は経験から生じる。こういう時はごめんなさいと言いなさい、お礼をする、家の中で黒い昆虫を見たら『きゃー!』と叫ぶとか。または何かのきっかけで自己卑下が染み付いてしまう、または自己受容が深くなったりもする。

そのすべての経験がなかったとしたらとしたら、私とはあるのだろうか?
経験がなければ私は無いのか?じゃあ経験が私なのか?経験があってもなくても、私があるのであればそれはなんだろう?

2.外界と「私」(原子レベル〜)

2つ目は、外界と「私」を原子レベルから考えていきます。

例えば雨や水と私です。
地表とか海上から水が蒸発して雲ができて雨が降ります。川を流れて僕たちが生活する水源になっているダムに溜まって、上水道を通って僕たちがその水を飲んだりします。水分子は一定期間僕らの体にとどまって、体を構成して、いずれ出て行きます。体にある間は私の一部もしくは私で出て行ったらそうではなくなるんでしょうか?

そして昨日食べた何かを思い出してみます。何か1つ実際に思い出してください。例えばにんじんとします。そのにんじんを構成する原子は体の中に入って一定期間僕たちの体を構成して、エネルギーを産み、いずれ外へ出て行きます。
それはまた別の植物、動物になるかもしれませんし、また僕たちの体の中に取り込まれることになるかもしれません。それはどこからどこまでが私の一部だったり私だったりするんでしょうか?

そもそも食べ物を食べることによって、無数の原子が集合することによって僕たちの両親が成長して、その原子の集合体である両親から僕たちが生まれて、また原子を集めながら成長してきました。
そしていずれ火葬されたり土葬をされたりして、空気中にもしくは土の中に、溶け込んでいって、こうして原子が集積したり拡散していく、この集積したり拡散するものが私なのだろうか?
私だとしたらそれはどこからどこまでが私なんだろう?直接的に私だったり、間接的だったりすることもあるのだろうか?もし私じゃないとしたら私とは何なんだろう?もしくはどのように存在し得る?あるいは存在しない?

他には例えば僕たちが散歩をしているときに、落ちた髪の毛は、体にあるときは私の髪の毛だと認識しますが、地面に落ちた瞬間も私の髪の毛が落ちたと認識すると思いますが、それがいずれ分解されてすぐに帰った時、私の一部ではなくなる?

3.外界と「私」(認知・量子レベル〜)

3つ目は、外界と私の認知レベル・量子レベルです。私は外界をどのように実際に認知しているか?から入っていきます。認知とは実際に何が起こっているかと言うと、脳内でどのように電子が流れるかによります。

指に針が刺さったとしたら、痛みを感じますし、「痛っ!」て言う言葉が思い浮かんだり、「なんでこんなところに針が?」といった思考もわいたりしますけど、指では痛みも思考も起こっていません。そもそも指と言うものも、脳内にあると言ったほうがいいかもしれませんよね。

(僕はある時骨折の手術(骨をビスで固定する)、局所麻酔があまり効いてなくて、施術する場所はもちろん痛いし、周りの空間も痛くて別の体の箇所も激痛を感じた、ということがありました。ビスを止める穴を開けるドリルが手術箇所も、空間も、体の別の場所も貫通しているように感じました。痛みが強すぎて、誤認したと見てもいいんですが、普段も同じようなことが実は起こっていないでしょうか?例えば、何かめんどくさいと思う時、面倒くさいという現象や事実は本当はないです。)

これを踏まえて
今、目の前に見えるものから行きます。

例えば部屋の様子、椅子があったりテーブルがあったり、目には見えないけど空気があったり、空間があって、自分の手足があったり、胸とかお腹が見えたりします。

もちろん普通には目の前にある物体と、例えば椅子と、自分は別ですが、これは椅子だと言う認識は僕らの脳の中にあります。椅子と言う映像も脳内にあります。自分の手と言う映像も、これが私の手だと言う認識も同じく脳内にあります。

同じく映像であり認識であり脳内にあるものであれば、これは本当に区別があるのでしょうか?今聞こえてくる音とか声とか、明確に音になる前の振動とかと、私の違いは何でしょう?この私と思っている思考だったり一連の集積回路も振動であり波動ですが、(体も濃淡こそあれ波動ですが…)

私と、私とは別と思っている音とか波動とか振動との区別は明確に何なんでしょうか?
それとも無いのか?

同じく今感じる温度とか空気感とか体の重み、痛み、心地よさ、感情の重さ軽さも全て一種の波動ですが、これはどうでしょう?

今起こっている思考とか観察は、それは原子の結合とか経験してきたことによって生じます(見かけ上)が、これらと私はどうなんでしょう?どう違う?もしくはどう関わるのか?何も違わないのだろうか?

ここで、僕らの受胎の瞬間について考えてみます。母親の中で受精卵が着床した時、発生を始めた瞬間に、2分割された幾何学の形状をとった時に、4分割された時、さらにもっと発生したら・・私はあったのだろうか?

さらに分裂して組織が生まれ、心臓の原型ができて脈打ち始めるときはどうだろうか?
脳ができて手足もできて、外界からの音や振動、波動にも反応し始める・・どこから私なんだろう?まだ私はないのだろうか?

いつかの時点で少なくとも見かけ上は私は生じる思える…それは一体どんな力によって、どんな作用によって生じるものなのだろう?それとも生じてなどいないのだろうか?

全く同じことが近しい人にも、通りすがりの人たちにも、自然界にも、起こっていると想像できる・・、他の人たちと、外界と、私の違いは明確に何なのだろうか?あるのだろうか?

シェア会参加の皆さんへ

…といったことを参加される皆さんの関心にもよるんですが、こういうことについて答え出し合って感じたことをシェアしあっていくと、お互いに意識が変わっていきそうで面白いんじゃないかなと思っています。

私って本当は何なのか、全体性って何なのか、みんなでパズルのピースを出し合ってパズルが完成していくようなイメージです。その場、その場で生まれるものがあると思います。

とはいえ、シェア会は本当に自由な場所です。今回のシェア会に関わらずテーマ以外の話題もOKとしています。それは意識・志向が近い方々とカフェとかに集まって、マイペースで参加するイメージでいます。ただ今僕が惹かれるもの、考えていることをシェアさせていただきました。

 

各講座について

心理学・量子力学・スピリチュアルを統合した3講座を運営しています。

(1)まずは自分軸を取り戻す(眠りを卒業する)
★「質問の本質の授業」オンライン講座

本質・ワンネスを思い出すベースとなる講座です。

5次元意識・時間の使い方、現実創造もカバーしています。
質問を通じて多次元意識も思い出します。
まずはここから。眠りを抜けないと始まりませんよね。

(2)ポジティブ・ネガティブ、光・闇…二元性を超えた「純粋観照者」を体験する
★正反統合ワークオンライン講座

ワンネスに還る前に通常通るのが「純粋観照者」です。
人間意識とはまったく違うクリアな意識を思い出します。
「これまで自分がいかに小さかったか!」ワーク後に驚かれるでしょう。

(3)そしてワンネスを思い出す、ワンネスへ浸る
★ワンネス体感ワークオンライン講座

そしてついにワンネスへ…「純粋観照者」さえも包含する根源の意識を体感します。
一度味わったスウィーツの味は、肉体次元でもいつでも味わえるようになります。

「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります☆

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