目醒め・統合ワーク

ノンデュアリティ体験・体感できる事例・実験、並木良和さん「日常全て=統合の機会」「こひしたふわよの奥深さ」

最近「ノンデュアリティ(非二元) 」という言葉を聞く機会を増えている方も多いと思います。

とはいえ、これって頭ではわかっても、実感することは簡単じゃなかったりしますよね?

でも意外にも日常の中で、

  • やっぱり世の中ってノンデュアリティなんだな」って思える現象や、
  • 結構分かりやすくノンデュアリティな体験ができる、簡単な「実験方法」

がありますので、今日はごく手短に書いていきたいと思います。

並木良和さんの話を参照にされている方にとっては、「日常全て=統合の機会」「こひしたふわよの奥深さ」を落とし込むためにも、この記事は参考にしていただければと思います。

(この記事の内容は動画でもシェアしています)

ノンデュアリティ体感できる事例・実験

ノンデュアリティ体感できる事例として、まず「与えること」と「受け取ること」について見ていきます。

与える・受け取るは、まさに自分と他人という、「相対する」からこそできることのように思えるし、
全く反対のもののように思えます。

でも、よくよく観察するとここからも「やっぱノンデュアリティ だな」って感じられるかなと思います。

  • 「Happy Birthday」のワーク
  • 育児は、与える行為?受け取る行為?
  • 日常は自己と他者を同一視してしまう現象に溢れている

の順番で書いていきます。

ノンデュアリティが如実に体感できる「Happy Birthday」のワーク

で、これはどういうことか?というと「ハッピーバースデーを歌うor歌ってもらう」という例がすごくわかりやすいです。

僕はよくセミナーとかワークショップである程度人数が集まったときにこのハッピーバースデーのワークはよく行ってました。これは

  • セミナー開催の月に誕生日を迎える人に会場の前に出てきてもらって、
  • 他の参加者全員からハッピーバースデーを歌ってもらう

ということです。

ただ、先にお願いしてたことが、

  • お祝いをしてもらう(happy birthdayを歌ってもらう方)は、100%そのハッピーバースデーの祝福を受け取るということを意図して聞くこと
  • お祝いをする人(happy birthdayを歌う人)たちは、100%の気持ちを込めて歌う・与えるということを意図して歌うこと

ということです。

こうしていただくと、
歌ってもらう人は「100%歌ってもらってる、100%お祝いしてもらっている」と意識するので、「祝福されてる!」って感覚が表情やエネルギー・波動に現れます。

100%歌う方には「あぁ、100%受け取ってもらってる」って感じるように意識してもらうようにしますので、
happy birthday をプレゼントしているつもりなのに、会場前に出ている誕生日をお祝いされる側の人から、逆に受け取ってる感じなります。

歌ってあげるという「与える」行為をしているのに、「受け取ってもらえて、嬉しい!」となって、実は「受け取っている」ということがすごくよく感じられます。

なので、会場前で歌ってもらってる側からすると、逆に「与えている」って言う事になりますよね。

100%ハッピーバースデー受け取ることって恥ずかしかったりするんですけど(笑)
でも、思わず表情とからエネルギーでますので、そのことが歌う側に与えてるっていう事になるんですよね。

ここですごくエネルギーとか気持ちの循環が生まれて、フリーエネルギーに巡回して無尽蔵に大きくなっていくっていう体験が、このハッピーバースデーで体感できるんです。

普通に人間意識で生きてると、「与えること」と「受け取る事」って真逆の、相対するもの、「自分と他があるからこそできる」ように思うんですけど、

これが「同じことだ!」っていうのがこのハッピーバースデーで本当に体感できます。

…ということをセミナーなんかで最後にしてたんですけど、これによって「受け取り下手」と「与え下手」が一緒だっていうこともわかってきてきます。

これは両方、上手にできるようになってきたいですね。

100%与えることはできても、意外と受け取るっていうことができなかったり、
本当は与えたい!って思うんだけど照れくさかったりします。

本当は、本当に本当100%与えることも難しいんですよね。

こういうワークをしてもらって、「大人になって、こんなに大勢の人に祝ってもらうなんて、恥しい!」とか「こんなに大勢の人にお祝いしてもらうんて人生初です!」っていう方も多くて、
本当、照れくさかったりするんですけど、皆さん照れながらもワークしてもらうと、
お祝いされる方も、歌う方も感極まって泣き出す人も少なくないです。
本当、感動するんです。

これは何も大勢じゃないとできないということもないので、ご家族の中でも誕生に迎えられた方にハッピーバースデーで歌うときあるいは歌ってもらうとき、をちょっとやってもらったら「ノンデュアリティだな」
ていうのが体感できると思います。

(質問の本質の授業オンライン講座受講生の方が、このハッピーバースデーの話を聞いて、さっそく4人で試してみて「感動しました!」という感想を教えてくれました。)

こうした経験をもとにしてもらって少し認知の幅を広げていくと本当に
自分と相手の分離って、今まで思ってたほど明確じゃないかもっていうくらいは思えると思うんです。

ほんとに自分と相手って本当に「個」として独立しているんだろうか?っていう気がしないでしょうか。

人は鏡の法則っていう風に自分を映し出すって言い方もありますけど、本当に自分と相手の方ってことして独立していないような…非常に曖昧な…感じがしてくるんじゃないでしょうか?

主体と客体の受け取る・与えるって言う関係じゃないのかもしれない…と。

ノンデュアリティと育児…与える行為?受け取る行為?

なので、育児も、普通は赤ちゃんを育てる、子育てする側が与えるっていう行為をしているようで、
でも実は赤ちゃん子供から受け取ってる部分ってありますよね?

こういうことをお話しててすごく思い出すのが小林正観さんです。

正観さんは、

子どもは、3歳になるまでに親孝行を終えている

っていうことをおっしゃっていました。
だから「親を亡くして親孝行ができなかった」って悔やむ方も中には多いと思うんですけど、もう3歳を超えた時点で無邪気なエネルギー・笑顔で幼いころに親に世話をしてもらうことが実はもう十分親孝行になっている…すごく与えているということになっている、ということです。

だからすごく霊的に感性を開かれた方だったら、子供が生まれてきてくれただけで十分だっていうことをおっしゃったりとか、例えばを妊娠できただけでも十分だっていう方もいらっしゃるかもしれません(僕はそこまで霊的に開かれた方にはあったことはありませんが)

じゃあ自分はどうなんだろう?と思うと、もし同じような状況にあったとしたら普通にどん底に落ちてしまう自信がありますので、僕はまだ人間意識を使っているんだろうということが我ながらよく分かります。

日常のノンデュアリティ…自己と他者を同一視してしまう

それから、僕らは自己と他者を別に思っているようでじつは
同一視している、つまり「同じものだ」と思っているということを考えるとよくわかるかなと思います。

例えばなんですが、

  • 自分が着ている服、アクセサリーが褒められると嬉しい
  • 自分の子どもを褒められると嬉しい
  • 自分が住んる地域とか故郷が良く言われたり、逆にけなされたりすると、ポジティブにもネガティブにも感情が動く

ということはがありますよね?
これって自分とは別のもの(服、街など)を自分と同じだと思っている(=自己同一化)というところが根底にあります。

そういうのでは gackt さんが出てた「翔んで埼玉」っていう映画が成り立つんだと思うんですけど、他にも

桜を見て綺麗だなぁと思う時に自分が綺麗だって言ってることになりますので、
特に女性は綺麗なものにたくさん触れると実際にキレイになれる

って言い方があったりしますよね。

ですので、人を批判・非難するとき相手を落とすことによって、自分はあげるって行為をしてるんですけど、でも実は自分を非難して批判しているのと
無意識的には同じになるんです。

だから、
人を心配してるようで実は自分のことを心配しているし、
人の失敗を予見したら自分の失敗を予言することになります。

プロゴルファーのタイガーウッズは相手の選手がパットを外せば自分が有利に立てる場面でも、相手がパットを入れるように念じるっていうことをやってたそうです。
そうしないと自分のパッドに影響してしまうからです。

ノンデュアリティは日常で体験できる

以上のように、日常でも注意をすれば僕らの日常には「ノンデュアリティなんだな」って思うことってけっこうあると思っています。

でも一方で、「やっぱり分離だらけだ」ところもたくさんあって(笑)
だからこそこの世界は複雑だし、複雑だから遊べるし、面白いんだろうなって思います。

複雑といえば、「愛する」「愛される」なんて本当にノンデュアリティデュアリティが入り乱れているように僕は思うんですけど、だからこそ人間関係って色んな問題が浮き上がってきますし、並木良和さんが「日常のすべてを使って目醒めていく・統合してく」っていう話をよくされますけど、「本当そうだな!」と思います。

本当僕たちは生きているだけで目覚めていけるんですよね。

並木良和さんは「自分バージョンの天国をこの地球上に作っていく」っていうこともよく言ってて、僕の取り方としては「目醒めながら遊んでいく」っていうことだと思っています。

少し前までは、分離にそまった人間意識から目醒めてから初めて本当のみで遊べる
この地球という経験をめいっぱい楽しんでいくって思ってたんですが、
最近よく思うのが目醒めと地球を遊ぶ・楽しむのは、同時進行だなってことです。

「目醒めて遊ぶ」じゃなくって「目醒めと遊びは同時進行」

このことは、並木良和さんがよく言ってる「こひしたふわよ(恋慕うわよ)」とも非常にリンクするなぁと思っています。

でも、「こひしたふわよ」って本当に本当にやろうって難しいんですよね…

並木さんが言うほど実践するのは結構・かなり人間意識を外さないと。外しながらやっていく必要があると思うんです。

もちろん人間意識を持っているレベルに応じて、それに応じた「こひしたふわよ」をやればいいと思うんです。

ノンデュアリティというものは実は僕らの身近にあって、
全然別世界にもんではないですし、
少なくとも「ノンデュアリティ なんてウソですよ。ありませんよ」と言われたとしても、この感覚・考え方って人間的にすごくメリットが多い
と思います。

眠りから日常を生かして穏やかに目醒めていくっていう意味でもいいかなと思いますし、
穏やかであれば脳波がアルファ波になりやすく、新しいアイディアも絶対的に生みやすくなります。

ですので最初に紹介したような happy birthday のような、「与えること」と「受けとること」って一緒だなぁとか、そういうところから本当に自分と他の区別がないのかもしれないって体験は、まだしたことないという方には、ちょっと実験してもらえたらと思います。

今回もすごくちょっとしたお話だったんですがいかがでしたでしょうか?
これっていろんな捉え方があると思いますし、僕個人の今回捉え方だったんですけど、何かお気づきの点とか思うことがあれば教えてもらえると嬉しいです。

各講座について

心理学・物理学・スピリチュアルを統合した3講座を運営しています。

(1)まずは自分軸を取り戻す(眠りを卒業する)
★「質問の本質の授業」オンライン講座

本質・ワンネスを思い出すベースとなる講座です。

5次元意識・時間の使い方、現実創造もカバーしています。
質問を通じて多次元意識も思い出します。
まずはここから。眠りを抜けないと始まりませんよね。

(2)ポジティブ・ネガティブ、光・闇…二元性を超えた「純粋観照者」を体験する
★正反統合ワークオンライン講座

ワンネスに還る前に通常通るのが「純粋観照者」です。
人間意識とはまったく違うクリアな意識を思い出します。
「これまで自分がいかに小さかったか!」ワーク後に驚かれるでしょう。

(3)そしてワンネスを思い出す、ワンネスへ浸る
★ワンネス体感ワークオンライン講座

そしてついにワンネスへ…「純粋観照者」さえも包含する根源の意識を体感します。
一度味わったスウィーツの味は、肉体次元でもいつでも味わえるようになります。

「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります。

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