前回の
に続いて「並木良和さん・おのころ心平さんの対談セミナー」での学びをシェアします。
僕は今回の学びは、「完全性を観ること」に集約される、と思いました。
病気である人にも、自分に病気がある状態でも、人がor自分が年老いても完全性を観ることです。
病気であっても、どれだけ悩んでいても苦しんでいても、その人には100力がある
ことは、並木良和さんからよく聴きてきました。
例えば、お二人は
病気は決して悪いものじゃないこと、サインであり、気づきのチャンスであり、才能であるとおっしゃっていました。
この「完全性を観ること」を腑に落とすほど病気を本当に理解しやすく、病気がその役目を終える(つまり治る)ことにも繋がりやすいのは、
僕も体験から実感しますけれど、でも正直どうでしょう?
(動画でもお話ししています)
完全性を観る…どう腑に落とせるか?
「病は気から」とは僕も子供の頃から知っていました。
けれど、知ってるだけではそこまで役立たなくて、どれだけ落とし込めるか?です。
知識を知っているだけでは、その知識は存在しないと一緒だなと思います。
でも、
病気でもあってもなくても、自分も人も「本質は完全だ」と実感できれば、腰痛にも高熱にも花粉症にもOKが出しやすくなります。
本当、100%OKなほど治りやすいです。
(最近では、僕の場合は、個人の歯医者さんで原因がわからなくて総合病院の口腔外科でもわからなかった歯の激痛が、そのメッセージを受け取ったら治ったということがありました。
子供頃に治療した歯が物理的に欠けてましたから当然歯医者さん行かなきゃと思って、
その隙間から実際虫歯になっていましたけれど、これは痛みという意味ではダミーでした!)
僕にとっては、昔の子供の頃に、もしくは心理学を学ぶ前の自分では、完全性を見てくださいと言われても、「今まさに苦しんでいる」わけですから、それはかなり難しかったと思います。
そんな昔の僕に伝えるとしたら、プラスアルファで2つ、過去の自分に教えたいと思います。
(もちろん並木さんやおのころさんが伝えてくださっていること、未来の僕が体験したこと、事例なりワークすることもいいですね)
それは
⑴病気を理解するためのスキル(その声を聞く・観る・感じるスキル)
⑵肉体・普段の「この私」を超えた霊的な自分に気づくこと
です。これは簡単な練習があります。
ごく日常でできることをいくつかです。
この2つなら、小学生の時はちょっと難しいかもしれないですが、中学生くらいの僕だったら十分できたんじゃないかなと思います。
これは
健康な人でも、自分の本質、霊的な自分とつながれるメリットになります。
例えば健全なお子さんにもこれから本当に何をしたいのか?わかるためにも、いい練習方法じゃないかなと思います。
これによって並木良和さんたち言われる病気とは
魂の道からのズレを戻すために、本来の生きる道に戻すために生じてくれていることがわかると思います。
本当に僕も病気とは
・応援、パワー、エネルギー、気付き、愛されている証拠
だと感じています。
というよりも、
せっかく病気があるのに、これらを受け取っていないのは勿体無い!と思います。
普通には病気って例えば
- 罰として体験している
- 宇宙に嫌われている
僕のエゴはそんな意味づけもしそうなものです。
が、皆さんはぜひ誤解されないようにしていただきたいと思います。
「全てが一つ」である…その元で、「愛」ということで言えば「愛」じゃないものはない、
というのが僕が持っている感覚です。
最近では歯痛、腰痛だったり、足のすねがちょっと乾燥肌になった時も、それを読み取りました。もっと前でいうと、花粉症は僕と自然とのつながり回復させるために、ひいてはワンネスを思い出させるためでした。それができたら役目を終えました。
本当に、大事な時なのに胃がよじれるくらいのお腹の激痛が起こったことも、どんな病気、症状にも意図・意味・メッセージがあります。
(なぜこんな時に!?って思いました)
病気だけじゃなくて、僕の中のどんな「ダメな自分」にも意図・パワーが内在されていました。
「ダメな自分」は忘れた預金口座のように、お金がエネルギーがいっぱい溜まってるんです。
本当にダメな自分も、才能です。病気は才能、ダメな自分も才能です。
だから皆さんも、無いかもしれませんが、もしダメなご自身を見つけた「ラッキー!」と思ったり、「よしよし」「ありがとう」という感じで歓迎していただきたいなと思います。
⑴病気を理解するためのスキル(その声を聞く・観る・感じるスキル)
は、
次回以降のトピックス、「病気はどう見えますか?」とほぼイコールなので、そこでシェアします。
ここでは
⑵肉体・普段の「この私」を超えた霊的な自分に気づく
ための、日常でできる簡単な練習方法をシェアします。
⑵肉体・普段の「この私」を超えた霊的な自分に気づく
それは要は五感を超えた領域に気づく感性を養うことです。
本質の自分は人間的な思考とか感情とか感覚を超えたところも含めて存在しています。
僕らは、どうしても三次元世界を一生懸命生きることを20年なり30年なり、ずっとやってますので、ある意味五感に慣れ過ぎてしまっています。
例えば赤ちゃん、野生の動物たちは全体性と一体なのですごくパワフルです。
赤ちゃんが大人には出せなような大声で泣き続けることができたり、動物がものすごい帰巣本能を発揮したり、地震とか津波を予知したりします。
起業家とかアーティストの人が、すごいひらめきをしたりとかも、この五感を超えた領域にアクセスしたり気づく力が強いです。
セラピストの人たちもなるべく自分を(我を)脇に置いて、全体性として施術します。
マッサージをしても、筋肉を抵抗を受けなくて、揉み返しがなかったりします。
普通は
五感で生きることはめちゃくちゃ大事なので、
五感にフォーカスし過ぎているんですが、
要はそれを相対的にゆるめる練習です。
それならもちろん深い瞑想・内観、何らかのワークもいいんですけれど、
僕はもっとゲーム感覚・遊び感覚できる練習として
例えば
・体に良いけれど美味しくないものを食べる
ということです。
例えばお味噌汁を味噌なしで作って食べてみます。
僕らは長年の経験で「お味噌汁はこういうもの」という固定観念がありますよね?
それが味噌が薄いどころが入ってなくて、出汁の味があるだけだと、すごく残念な味に感じたり、美味しくないな〜!ってなりますよね。
(お出汁の味だけで美味しく感じちゃう人は、出汁も薄めor無しにしてください。)
この「味薄いな〜美味しくないな〜」は五感だけを捉えた状態です。
この体験を分解すると普通は、「味覚、嗅覚」に加えて、「美味しくないという思考」からできています。
思考は内側で言葉で聞きますので、ここでは「内的な聴覚」に分類します。
もし透明な澄んだお出しが余計に美味しくないという体験を強化するなら視覚・ビジュアルも入っています。
本当に五感です。
ここで「五感を超えた領域はどうなっているか?これをどう体験しているか?」を捉えます。
それを「どうすればいいのか?」という話ですよね?
これはすごく簡単で、
- 「こうした五感を超えた領域は今どうなっているだろうか?」
- 「もしわかるとしたら何を感じるだろう?」
- 「何に気付けるだろう?」
といった質問という、意識にとって脳にとって絶対的に逆らえないコマンドをかけます。
「そんな質問くらいで?」って思われるかもしれないですが質問は本当に強力です。
例えば、
「あなたはこの記事を見た後は何をしますか?」
・
・
・
と問われた瞬間、「え、どうしよう?」「どうするつもりだったっけ?」とか未来に意識が一瞬だけであれ飛んだはずです。
同じように僕らは
毎瞬毎瞬の質問によって
- ネガティブなことに意識を向けるのか?
- それともポジティブなことを自分の世界に顕在化させるの?
- 眠りの方向に意識を向けるのか?
- それとも個人を脱するのか?
無自覚な質問によって毎瞬、行く先、平行現実を、決定しています。
普通は現象界というスクリーンに(=外的五感と内的五感の組み合わせに)がっつり意識を向けています。
その状態で何らか覚醒のためワーク(=現象界を超えるためのワーク)をしても、効果は薄いかもしれません。
だから質問って(特に無自覚な質問)が大事なんです。
普通は食べる時であれば、意識を口・舌・喉の感覚にむけますが、
この「五感を超えた領域に気づくとしたら?」と質問すると、
空間でいうとそれら以外の、
例えば口よりやや上、
頭の中心あたりとか(ここは松果体があります)、
自分の頭頂とか、自分の上空、背後とかに、意識が向くはずです。
その辺りに意識を向けていると、五感では何とも言えない「何か」を何となくでも捉え始めます。
(これがどれだけすんなり行くかは、慣れと質問が本当に何なのか?質問の本質を体感しているかどうかにもよります)
これは実はおいしいものを食べていてもできる練習です。
ただ、おいしいものは「美味しいので」五感から意識をずらすのが最初はちょっと難しいかもしれません。
なぜならその五感にハマっていたいからです。
逆に不味すぎるもの、激辛すぎるものも、五感に囚われてしまって、五感を超えた領域は分かりにくいかもしれません。
これができると、例えば
- 焼き肉を食べて、五感では間違いなくおいしいですが…
- でも五感を超えた領域では(つまり高次の自分では、魂の自分では)「うーん」という感じなのがわかって、
- 「焼き肉」というものに対する感覚が変わったりします。
同じように病気(僕の場合は最近では歯痛でした)、症状に対する、意味付けとか、理解とか、メッセージまたは愛を受け取れるかどうかに、関わってきます。
そして例えば
- 腰痛に心底「OK!!』と言える
- 花粉症に「これって現代人にとって、自分にとって必要な能力だ。もうなくならないでいい!」って心底思う
と、その役割を終えて逆になくなってしまう、という経験を僕もしてきました。
僕の周りでも同じような経験を教えていただいています。
(僕は直接は見ていないんですが、僕のYouTubeの花粉症の動画をご覧になって、同じようにされて花粉症が治ったという体験を同じくYouTubeの動画にあげていらっしゃる方もおられるそうです。)
これは寒い日に水のシャワー浴びるのも、無理のない範囲でおすすめです。
肉体とマインド的には明らかに苦痛なんですが、それを超えたところでは、そうでもないんです。
というを僕の昨年の秋に初めて、できるところまでやってみよう、と思っていたら、冬至、大寒の頃も過ぎて、結局冷水シャワーを体を洗うことぐるっと一年続けてしまいました。肉体的には明らかに苦痛です。
ここに気付き始めると、けっこうやばくて、行き着く先は全体性で、個人の崩壊につながる…引き金になるくらいで済むとは思いますが、やり方によっては興味深い体験はできます。
こうした感性は(五感を超えているのに感性というほかないですね…)、
病気で苦痛でしかない状態の自分の完全性に気づくことも、
病気の家族、例えば認知症のご家族の方の完全性を観ることにもつながります。
病気が決して悪いものではない、サインである、才能である、
並木良和さん、おのころ心平さんが伝えてくださっていることも腑に落ちやすくなると思います。
病気の役目を終えさせてあげれば、「お疲れ様でした」ということになります。
僕もそれを経験してきました。
僕は人間的なスペックはだいぶ劣った設定で今世スタートしましたけれど、
紐解けると全部リソースになり得ることがわかってきました。
(だから個人セッションでお悩みなり問題なりご相談されても、
僕はまったく問題とは思わないです。
僕の個人セッションとかワークでは、今回のテーマとか状態とかコンディションという言い方をしたりします。
参考:各種オンライン個人セッション(Skype・zoom)について)
並木さんは病気であっても本質はイキイキしているとかキラキラしているといったことをおっしゃていましたけれど、それが本当によく分かります。
僕が主にアクセスしているのは並木さんが言っているところよりもやや低次元かなと思うんですけれど、僕の肉体が苦痛でも「彼」はケラケラ笑ってたりします。
それよりももっと高次になると、「苦しんでる三次元の僕」も「笑っているミドルセルフの次元」も微笑しくorただ眺めている意識があります。
「苦しんでる僕(個人)」
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「肯定的に捉える意識」
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「ただ眺める意識(高次の中庸、非個人)」
僕もこういうことが全くわからないところからスタートしました。
ですから、過去の全然わからなかった自分にも、大丈夫だと伝えたいです。
そんな昔の自分にも助けになるであろう話を次回していきます。
次は…「病気を治したい」を超える:並木良和さんおのころ心平さん病気心のヒーリング等を学ぶセミナーでの学び③
心理学・物理学・スピリチュアルを統合した3講座を運営しています。
(1)まずは自分軸を取り戻す(眠りを卒業する)
★「質問の本質の授業」オンライン講座
本質・ワンネスを思い出すベースとなる講座です。
5次元意識・時間の使い方、現実創造もカバーしています。
質問を通じて多次元意識も思い出します。
まずはここから。眠りを抜けないと始まりませんよね。
(2)ポジティブ・ネガティブ、光・闇…二元性を超えた「純粋観照者」を体験する
★正反統合ワークオンライン講座
ワンネスに還る前に通常通るのが「純粋観照者」です。
人間意識とはまったく違うクリアな意識を思い出します。
「これまで自分がいかに小さかったか!」ワーク後に驚かれるでしょう。
(3)そしてワンネスを思い出す、ワンネスへ浸る
★ワンネス体感ワークオンライン講座
そしてついにワンネスへ…「純粋観照者」さえも包含する根源の意識を体感します。
一度味わったスウィーツの味は、肉体次元でもいつでも味わえるようになります。
「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります。