「意識の反転」とは純粋観照者・意識となることなのでしょうか?
「意識の反転」「純粋観照」を、それぞれどう捉えているか?によって、この質問に対する回答は変わってきます。
まずはその整理をしていきましょう。
まず「意識の反転」とは?
「意識の反転」とは、多くの場合は
- 何かに気付いたり、何かを悟ったり、
- 意識が全く大きな変化をするような体験だったり
- 意識のシフトだったり次元転換
などなど何かハッキリした、大きな変化を体験することかと思います。
例えば以下のようなことに気づく・悟る瞬間です。
- 目の前の人は自分が作っていた(人は、自分だった)
- 外の世界だと思っていたことはすべて内側で起こっている
- ハイヤーセルフとつながりたいと思っていたけれど、そのものだった
- 私と思っていた私は、実は無かった
- 目の前に見える世界はすべて結果であって、原因は波動の世界にあった
(3次元を何とかしようとしても仕方ないと気づいた。バイブレーションを扱うといいと気づいた。) - 天使も、ガイドも、輪廻も、カルマもストーリーだった
- 本当は何も起こっていなかった
- 元々全てでしかなかった
意識の反転といっても、本当、いろいろなバリエーションがありそうですよね。
もし共通するものを挙げるとすれば何でしょうか?
例えばそれは「個人が起点になっている」ことです。
「意識の反転」は、個人が主人公になっていて、そこから少し脱してることも、もう少し大きく脱しているあるでしょう。
純粋観照者・意識とは?
では、純粋観照とは何でしょうか?
こちらはバリエーションはあまり多くはありません。
ただ、
- 純粋観照者と言ったり、純粋観照意識といったり、
- ただ観照が起こっている、ただ観照する存在、
- 純粋な気づき、
- 非個人の気づきとか、
表現の仕方はいくつかあります。なぜかというと、五感では見えも聞こえも感じられないものだからです。正確に表現できる言葉ないためです。
非個人のただ観照が起こっている「何か」です。
明確に当てはまる単語がなくて、「意識」だったり「存在」だったりで表現しています。
あるいは「何か」とか「何だかわからないもの」というのが、本当は正直なところだったりします。
見えものしない、聞こえもしない、触れもしない、普通に存在はしないけれど、在るので不思議ですね。
何れにしても非個人であり、なに者でもありません。
観照「者」とも言ったりしますが、「個人」にとっての「わかりやすさ」に配慮した言い方です。
僕らは普通、個人と他者や対象、主体と客体があることが大前提の世界で生きています。
だから、全体性・ワンネス・根源・神などと名前をつけ、「対象」として見たり、「神様」とか「絶対的な存在」とか人格のあるものように捉えたりします。
例えば宇宙にも人格があると思っていて、「宇宙に好かれる生き方」といった主旨の書籍や動画があったりします。
純粋観照の、最大公約数的なのは、ただ観照起こっている、という表現でしょうか。
「意識の反転」を起こしたいと望んだり、起こそうと動いたりする個人と、純粋観照意識は対照的です。
「意識の反転」「純粋観照」を望みすぎると、かえって遠ざける
もし、純粋観照者または意識に、気付きたい・一致したい・統合したいなどと、強く思っているとしたら、その思い自体が純粋観照を遠ざけるように働くかもしれません。
あるいは、「純粋観照意識を手に入れれば楽になれる」と思いすぎていたり、その「思い」との自己同一化の度合いが大きかったりする場合です。
でもそんな人は大チャンスです。まずそれに気付きさえすれば、その「思い」を土台に、階段にすることができます。
純粋観照に気づく、親和する、ことを進めるためのネタになります。
正反統合ワークならまさにストレートに体験できますし、質問の本質の授業「講座3.0」のワークを応用してもいいです。
ですから純粋観照を体験したいと気付きたいと思うこと自体は問題ありません。
個人がある限りはなんらか思いを持つのは自然なことです。
何が問題になるか?というと、自己同一化の程度です。
これはできるだけ下げるようにします。
自己同一化の程度と、純粋観照の程度は反比例します。
たぶん、普段は個人として活動されていると思います。
個人として生きながらも、純粋観照を取り入れたり、生かすことが1番ポピュラーな在り方、だと思います。
(質問の本質の授業「講座3.0」のテーマが、まさに個人と非個人・全体性の両立です)
ただ、これはエゴが喜ぶ在り方でもありますので、エゴが喜ぶのは全然OKですが、そこに無自覚に自己同一化しないように注意してください。
もちろん、わかっていて自己同一化するのはOKです。
(本当の意味では自己同一化ではないですが)
3次元世界上の「役者」、「撮影用カメラ(観察)」、「警備用カメラ(観照)」
例えるなら、僕らは3次元世界というステージで演じる役者です。
よりよい演技をするために、カメラで撮影して、あとでその映像を振り返って、自分の演技を見直すことができます。ここで自分で見直すと自分の主観も入ってしまうので、これはまだ純粋観照ではなくて、せいぜい観察です。
もし観照に近いものとしたら、会場のセキュリティ上の監視カメラで覗いているセキュリティスタッフの人たちです。
彼らはセキュリティ上の問題がないか?つぶさに観察するので、これは観照にはなりませんが、ステージ上で演じている僕らの演技自体にはノージャッジで観照します。
彼らにとって大事なのは例えば不審な人物がいないか?ということですよね?
役者として良い演技をするために、彼らの視座そのものだと、あまり役に立ちません。
ただ、自分の主観をできる限り落とすために、彼らのような視座を少しまぜて、自分の演技を冷静に振り返ること(つまり観察と観照を混ぜて、自分の生き方、在り方をよりよくいていくこと)には十分役立ちそうです。
なぜなら、僕らにとって、この3次元世界はあまりにリアルで、五感の刺激が強烈なので、このくらいの工夫をしてちょうど良かったりするからです。
何か環境を整えて、静かな環境じゃないと、1人じゃないと、全く「本来の自分」で居られないとしたら勿体無いです。
確かに僕らは肉体を持っている以上は、外界に反応する必要があります。隣に誰かがいる時と、たった1人でいる時とでは、全く一緒では居られないです。例え家族であっても、普通は必ず仮面をかぶって相手に接します。
だからこその純粋観照意識です。
劇場で、役者本人とか、お客さんは芝居をノージャッジでは見ませんが、警備員の立場ならお芝居はほぼノージャッジでしょう。
もっというと、純粋観照は劇場の空気の粒子のような存在と思ってもよさそうです。
酸素や窒素は常にそこにありますが、役者をジャッジしないですよね。お客さんみたいには、意図も目的もないです。
本当純粋観照者という感じです。
改めて、「意識の反転」は純粋観照?
改めて、
「意識の反転」というものは純粋観照ですか?
という問いを考えてみましょう。
例えば、意識の反転は、自我ではなくてハイヤーセルフだったと思い出してハイヤーとして生きることだ、と意味づけしている場合、
「「意識の反転」というものは純粋観照ではありませんね」
とも、なりそうです。
ただ、ハイヤーセルフも、例えば天使、ガイドが僕らの世界を観察する波動とかエネルギーの動き方は、僕らが肉体の目を通して現象界を観察するのに比べたら、もう十分にほぼほぼノージャッジで、冷静で平安、揺るがない状態です。
そういう観点からすると、
「「意識の反転」が起こると、ほぼほぼ純粋観照意識として在ることですね」
と理解しても、間違いではないと思います。
だからといって「「意識の反転」というものは純粋観照ではありませんね」が間違いではなくて、その答えは、受け取る人の意識によって流動的になりそうです。
ここで改めて気付きたいのは、質問の答えは一つじゃないし、僕ら次第だということです。自由なんです。
じゃあ、質問は意味がないんですか?とは、なりません。
なぜなら、質問=答えであり、宇宙から反応なりエネルギーを引き出すことだからです。
この宇宙では、答えを受け取る前に質問が来る、というルールがあります。
質問した瞬間、答えが用意されます。それが僕ら一人一人ユニークですよ、ということです。
あとは、来ている答えを受け取る感性を、感受性を高める練習の余地はあるでしょうということです。
たとえば、
「意識の反転」というものは純粋観照だろうか?
という問いの答えも、自分で受け取れます。
ただその時に、インスピレーションとか気付きとして、ダイレクトに内側で受け取ることもあれば、
僕のような「皆さんにとってのツール」を媒介して受け取るときもあるというだけです。
でも、3次元的にも内側で受け取れたら便利ですよね。
質問の本質の授業は、その仕組み、感性の高め方なり、僕が自分が助かってきた・命拾いをしてきた理論とかワークを体系化ものです。
正反統合ワークも含めて、こうやって皆さんに体験していただけるのは、本当豊かなことです。
こうしてシェアする機会を有難うございました。
心理学・物理学・スピリチュアルを統合した3講座を運営しています。
(1)まずは自分軸を取り戻す(眠りを卒業する)
★「質問の本質の授業」オンライン講座
本質・ワンネスを思い出すベースとなる講座です。
5次元意識・時間の使い方、現実創造もカバーしています。
質問を通じて多次元意識も思い出します。
まずはここから。眠りを抜けないと始まりませんよね。
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ワンネスに還る前に通常通るのが「純粋観照者」です。
人間意識とはまったく違うクリアな意識を思い出します。
「これまで自分がいかに小さかったか!」ワーク後に驚かれるでしょう。
(3)そしてワンネスを思い出す、ワンネスへ浸る
★ワンネス体感ワークオンライン講座
そしてついにワンネスへ…「純粋観照者」さえも包含する根源の意識を体感します。
一度味わったスウィーツの味は、肉体次元でもいつでも味わえるようになります。
「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります。