今回は、
やましたひでこさん並木良和さんの断捨離セミナーを受講して、特に実践での気づきと、前回の動画では伝えられなかった注意点も、書いていきたいと思います。
①マインドゲームに、ハマらないようにする
②感情が揺れてもやりやすい、「逆統合」のやり方
③断捨離で思い知ること3つ、パワーの貯蔵庫を開く話
断捨離を進めるために例えば「スッキリ波動を上げた未来の自分につながる」ことは、本当に有効ですが、僕は
①マインドゲームに、ハマらないようにする
ことに意識しています。
たとえば、
「断捨離してて辛くなるから、未来に抜けて楽になろう」
と思うのはいいんですが、低い次元(=人間意識のまま)でやっていくと、単に
ネガティブっぽく見える「エゴA」をポジティブっぽく見える「エゴB」にすり替えているだけだったり、
「エゴAとBの間を行ったり来たりを繰り返しかねない」と思っています。
なので、
「マインドを抜けた一段高い意識」でいて、そもそもの目的(意識の拡大、目醒め)からはずれないことを意識しています。
②感情が揺れてもやりやすい、「逆統合」のやり方
断捨離を実践していると、僕の場合、面白いくらい感情があぶりだされ半端なく辛かったので、僕が「逆統合」といっている方法で乗り越えていました。
これは、かなり感情的に揺れてしまって、統合ワークができないくらいきつい時でも、比較的やりやすいです。
この「逆統合」のやり方も紹介します。
③断捨離で思い知ること3つ、パワーの貯蔵庫を開く話
その他では、
断捨離をしていてい思い知る3つのこととか、パワーの貯蔵庫を開く話、
「思い出の品」の処分の考え方とか、ちょっと実践的な細かいことも触れつつ「実践編」ぽい内容したいと思います。
断捨離を通して
本当に僕たちが一人一人が変わっていけますし、特に地球に対してもっと優しい生き方ができるようなると思います。
断捨離をもっと加速させたい人、止まってしまう人にとってヒントになれば、嬉しいです。
(この記事の内容は動画にもまとめています)
断捨離が辛い時でもやりやすい「逆統合」
まず断捨離をしていて、心がキツくなる場面には、たとえば統合ワークのようなことをするチャンスです。
ただ、僕の場合は、
感情があまりにも強く出過ぎて、
並木良和さんの統合ワークのように、「外にバイブレーションを出すような操作」は難しい場面がありました。
感情と自分が完全に同一化して抜こうにも抜けない感じでした。
そんな時でも比較的やりやすかったのが、冒頭で話した「逆統合」です。
「逆統合」という表現は、「見かけ上に逆っぽく見える」という意味で、
行き着く先は統合、受け入れであり、浄化で、同じことにはなります。
操作の仕方が違うだけですね。
「逆統合」のやり方を簡単にいうと、
湧き上がってきたすごい強い感情・バイブレーションを自分の外に出すんじゃなくて、
- 自分がその中に完全に入り込む、と意図して、イメージもします。
- 自分がバイブレーションと一体になって、自分という人間としての「個」が無くなって、全体性だけが残るようにイメージしていく
ことをやります。
大きな意識は、魂、ハイヤーセルフ 、あるいは創造主といった、いろんな段階がありますが、
少なくとも断捨離をして感情が出てきて、それにどっぷりハマっているのは人間的な「個」ですよね。
それが消える感じがするくらい集中します。
感情は消えていなくても、入り込むこと「だけ」に集中するので、感情に対するジャッジをしている余裕はなくなります。
まさに「個」がなくなった感じなります。
そうすると、
「あれ、たいしたことないぞ」って気づけて、「あ、ジャッジがこの周波数を大事に見せていたんだ」「全体性の中である種の周波数が表出されてるだけだ」
と気づけます。
ここまでくると、バイブレーションも、それをジャッジしてた「個」も、この全体性のものだって気づけて、実際、バイブレーションに感じる印象が弱くなります。
そのまま弱くしていってもいいですし、余裕ができたところで統合ワークをやってもOKです。
(映画「マトリックス」の1つ目を見た方は、最後に主人公のネオが、エージェントの体に入り込んで内側から破壊してしまうシーンを思い出せるでしょうか?
あんな感じでバイブレーションに入り込んで爆破するイメージもいいです。)
以上のように「逆統合」のいいところは
- 本当苦しい時でもできる
- これだけでも実際に統合できる・自分のものにできる
ということです。
(統合できる、というか全体性に回帰する様子を観察できる、というのが正確な表現かもしれません)
ということで、まず「断捨離で一番キツい時に僕はこうして抜けました」、という話でした。
エゴの交換、マインドゲームをしない(観照者視点に留まる)
ただ、この「逆統合」も、マインドゲームのネタになってしまわないように、僕は注意もしたいと思っています。
つまり、「辛いから逆統合する」、と素直に思っちゃうと、これってすごく人間的だと思うんです。
「エゴが、他の邪魔なエゴを外す行為」
になることにはしたくないと思います。
セミナー中にやましたひでこさん、並木さんが話されていた「断捨離した先の未来につながること」も、
僕の場合は、エゴAとエゴBを交換してるだけで終わってしまっていないか?内側を観察しながらやっています。
僕らの中にもは、
声が大きいエゴ、小さいエゴ、穏やかなエゴがいるわけですが、どれも本質ではないですよね?
とはいえ、
断捨離が辛くなって、何か気分を紛らすことをやっていいとは思います。
僕もコーヒーを淹れて飲んだり、断捨離以外のことをやるとか、実際していました。
ただ、これは「エゴAさんに休んでもらっているだけ」だったりします。
「純粋な気分転換」も、
「未来の自分につながること」も、あくまでツールとして使いこなして、
そもそも宇宙意識に、本質に還ろうとしていることを忘れない、「本質の自分」として観察していく、統合も上の意識するように心がけたいと改めて思いました。
そのためには、
「今、どの意識が動いている?」
「どの次元が活動してる?」といった質問を持って、
「大きな質問する側の意識」に立ちます。
質問は、いつでもどこでもできて、しかも意識を強制的に方向づけられます。
人間意識は、質問にすごく弱いです。
イメージすることなどは得意不得意があったりしますが、
質問は毎日当たり前につかっていることですから、使いやすいと思います。
*
他の表現だと、こうして「自分に問うこと」は、
ブレている、苦しんでいる、迷ってるなど「アウトプット・出力結果」ではなくて、「出力までのプロセスやシステム」に意識を向けることになります。
これは「出力までのプロセス」がはっきりわからなくてもOKです。
気づく・意識をむけるだけで、「苦しい」といった「出力された結果」と自己同一化しなくてすみます。
さらにプロセスも超えた、それらを包含する意識に立つよう意識します。
(この部分は、僕の「質問の本質の授業」オンライ講座を受講されている皆さんは、
「デフレーミング」の考え方・技術が符号しますので、関連して理解してもらえればと思います。)
「本質の意識」から、未来・シンボルにつながる・統合された自分で作業する
そして、こうして、本質=自分の中の大きな意識に気づいた上でやっていければ、
未来・シンボルにつながる・統合された自分で作業することも、本当に生きてくるなと思っています。
僕もこれだけでも相当助かりました。
山下さん達が言われていたように
「どれだけ新しい自分にワクワクできるか?」はすごく有効です。
なので、
断捨離後の未来の自分に、いかにつながるか?
さらに言うと
断捨離途中でも、いかに断捨離後の自分として作業するか?
です。
(僕にとってはやましたひでこさん、並木良和さんがシンボルの一つになるので、
二人の話を聞きながら、断捨離の後自分も呼び出して、作業すると、実際進みやすかったです。
断捨離のセミナーですから余計効きそうですよね。)
でも僕の場合、この人間意識的に「助けてもらった」ままだと、
やはり一時的にエゴを満足させているだけのような感じで、今回良くてもまた助けが必要になるなと思いました。
なので、ここでもやましたさん・並木さんというシンボルを使わせていただいて、
自分の中から行動する力を引き出しているんだ、って大きな意識から見るようにします。
エゴを納得させて終わりじゃなくて、せっかくですから「意識の本当の大きさ」を思い出す機会にしたいものです。
(こういう捉え方って、もしかしたら、「二人を利用してる」って感じでおこがましく感じる方もいらっしゃるかもしれません。
例えばですが、朝焼けを見て美しいって感動するときも、朝焼け自体が「感動するもの」なのではなくて、自分の中に「美しいと思う・感動する」能力・プログラムがあることになります。
実際、僕が朝焼けを見えてすごい!きれい!って思ってたら、同じ朝焼けを見た人「気持ち悪い」って言っていたことがありました。
なので、山下さんたちの話を聞いても何の琴線にも触れない人もいれば、僕が感じた何倍ものパワーに変えるって人もいるはずです。)
断捨離で思い知ること3つ、パワーの貯蔵庫を開く話
次に僕が実践して「思い知ったこと3つのこと」「パワーの貯蔵庫を開ける話」です。
前回の記事(やましたひでこさん並木良和さんセミナー|断捨離は「統合」で「自分に問うこと」)でも話しましたが、断捨離は本当に「自分に問いかけること」「自分に向き合うこと」でした。
そして、これは
- 未使用になっている自分の力の貯蔵庫に気づくことで、
- 断捨離の作業全部を、成長のチャンスにすることだ
と思いました。
断捨離していると、
- 何でもない不用品、
- 数が多かったり、分別が面倒だって思うもの
- 「これを捨てるのはちょっと…!」って思う大事な物まで、
本当自分に問いかける機会で、掘り下げることができます。
そのプロセスで、
- いかに人間をやっていて、いかに三次元を生きてるか
- いかに過去を生きているか
- いかに感情と自己同一化しているか
僕は本当に改めてよくわかりました。
本当感情がどばっ!と押し寄せて、動けなくなったり、その瞬間は到底余裕もないけれど、
これはラッキーなんことで、「意識の大きさ」を思い出す階段になります。
この意識の動き、気づきすべてが、「上の大きな意識から眺める練習」になります。
逆にいうとこれだけ豊かな意識であり、パワーを三次元のいろんなところに温存しているわけで、「今までの自分という人間」をやってきたんだなと思いました。
(僕の場合、思い出の品は
人生も、友情も、罪悪感も、無価値感もいっぱいくっつけていたことが嫌になるくらいわかって、
以前は「これは当然保管しておくべき書類でしょう」と思っていたものが、今回すっきり捨てていいって思えたのは驚きでした!
ここには自分の自信のなさ、不信感、不安をいっぱいくっつくけていたことがわかりました。
上から眺めると細かくわかります。)
それでもついつい「捨てて大丈夫?」って思う低い次元に自己同一化しがちなので、
僕はなるべく「どんな意識でいるか?」って、意識的に問うように設定しているんですけれど、これが本当に助けになったと思います。
じゃないと僕の場合、
要る・要らないの判断に、簡単に自己信頼のなさとか、不安が入りんできていました。
ただシンプルに、
今、どんな意識状態になってるか?
今、どの次元の意識からこれを見てるか?
質問すれば、「質問する側の意識」にたてます。
こうした質問が設定できていない時代だったら本当無理だったなと思います。
断捨離は
いかに自分が人間をやってるか、過去を生きているか、本当にわかります。
でもそのおかげで、「本来の意識の大きさ」に気づけてすごくお得ですので、ぜひ自己観察を、そのためには「意識的に質問しながら」をお勧めしたいと思います。
断捨離は、自分の能力を発掘するチャンス(思い出すチャンス)
以上のようなことは、言い換えると、
「断捨離は、自分の能力を発掘するチャンス(思い出すチャンス)」
だということになります。
例えば、
僕みたいに、デフォルトが悲観的な人間は、このように自分の中の一部分の周波数帯域=能力しか使えていないんですが、
断捨離していくためには、本当に楽観的にならざるを得ませんので、
上図のように、いままで使ってこなかった周波数帯域を開く・使えるようになっていけます。
じゃないと、本当の不用品しか処分できなくなってしまいます。
だからろくに処分ができないし、やましたさんが言っていた、「片付けじゃなくて、片寄せ」になってしまいそうです。
例えば
「この本今はまだ読まないけれど、貴重な本だから…」
って、とっておくのはすごくナチュラルなんですれど、
「自分は必要な時に必要な本に出会えるはず」
って普段使っていない楽観さという性質・アビリティを見出すチャンス
楽観さを思い出すチャンスになります。
実際、僕の場合、何年たっても読まなかったりするわけで、手放しもできて、やっぱり断捨離ってお得ですよね!
とはいえ、実際何でも捨てて実は必要だったてならないために、僕はネットで調べてみるのもありじゃないかと思います。
残すべきもの、「思い出の品」の断捨離の考え方(一例)
たとえば、卒業証書です。
僕の場合は公立の学校なので不要なんですが、
調べてみると私立の専門学校だと、場合によっては閉校になって、卒業証明書が取れなくなるというケースも考えられるそうです。
もしご自身が、あるいはお子さんが私学の卒業で、これから転職するとか、何かの資格をとるのに最終学歴の証明が必要になる場合は、とっておと無難かもしれません。
(でも、卒業証明書がなくてもし道が閉されるなら「そっちじゃないよ」って宇宙の導きなんだと捉えることもできますが。)
そして、僕が卒業証書を手にした時、けっこう立派な厚い紙で、大きい字で「卒業を証する」とか、「学士であることを証する」とか、読んでいると大学時の記憶とかぶわっときますし、
「あなたを証明しますよ」ってフレーズにやけに反応する意識が自分にあるなとすごく思いました。
いかに「外によって認められるかどうかを重視してきたか」「自分の外に何か審判を下すものがある」「外によって生かされてきたか」、すごく気づかされました。
だから、初めから「これは捨てるやつだよね」って思いつつも、「一応、みんなはどうしてるのかな?」って思わされて、それに気づきつつもググって見たら、
「公立の大学だし、僕の場合は不要だよね」ってエゴが納得したんですけれど、
やっぱり「あくまでエゴが納得しているだけだ」と、しつこいようですけれど気づいておきたいと思います。
エゴを納得させることにハマってしまうのは、
「エゴ=自分」を強化しかねなくて、「本来の姿」ではありませんよね。
*
それから卒業証書というと、「思い出の品」にもなると思いますが、
思い出の品だから捨てにくいときは、写真にとっておくのがポピュラーですね。
それでも捨てにくい時もあるかもしれませんので、もちろんまだしばらくとっておくのも選択肢です。
ただ、冷静に考えると、
思い出の品があるから思い出が守られたり、僕らの個が守られるわけでもなく、写真があればけっこう十分だったりします。
で、実際に捨ててみると、あっけないほど何ともないことがわかって、僕は面白かったです。
これを捨てたら自分が損なわれると思ってたんですけれど、本当意外でした。
ちょっと勇気が出ない時は、やや軽めの思い出の品を捨てて見ててください。
一度やってもると、たぶん、「要らなかったんだ」って思って、次も行ってみようと思えると思います。
やましたひでこさん並木良和さん断捨離セミナー実践の気づきまとめ
まとめ1:断捨離=自分を信じていく作業
以上、僕は今回の気づきを一言でまとめると、
「断捨離って自分を信じていく作業だ!」
と思いました。
つまりは、本来の自分、自分という宇宙、を信頼してく(というか思い出す)作業です。
ボールペン一つとっても、「捨てていい?」→「OK!」とか、
「この写真どうだろう?」→「いやこれは…」、となったら、別にとっておいてもいいんですけれど、
写真にくっつけている「過去」と、その過去にくっつけてる「感情を感じる自分」を
手放そうと思えたら手放して、そうしたら「じゃあ捨てよう」に変化したり、
この繰り返していく過程で
これは、なくてOK
これも、なくてOK
と、過去が軽くなる分(=三次元の制約が軽くなるたびに)、過去に貯金しておいたパワーを取り戻して、
- パワーを「今」に使う、
- もしくは戦略的に未来に使う(これも結局は「今」に使うことになりますが)
といったことも、やりやすくなります。
まとめ2:三次元世界に反応する「いろんな小さい自分」たちを、超えていく機会にする
そして、僕が大事だなとおもったのが、断捨離中に出てきてくれる、
三次元世界に反応する「いろんな小さい自分」たちを、超えていく機会にする、
ということです。
断捨離していると、まず「『もの』に感じる(苦しむ)自分(意識)がいる」とわかります。
そこに「すでに断捨離を終えて波動が上がった自分」または「未来にワクワクする自分」をぶつけて、
場合によっては「感じる自分」を見ないようにしたり、押さえ込んだり、中和することは可能で
実際に作業を進めるのにも有効です。
ただ、
- 「この小さな自分たち(つまりエゴたち)を超えた意識で眺めていたい」、
- 「『ものに感じる自分』にも『手放せる自分』にもOKを出したい
と思いました。
なぜどちらにもOKを出すか?というと、
「これらを超越した意識(いわゆるハイヤーセルフ とか創造主と言われる視座)であれば、
どちらにも良い悪いはないはずだから」
です。
そして、この視座からじゃないと、僕らは何かと「不要なジャッジ」をしがちで、
ある時は手放せても、またある時は感じてしまう、と「行ったきたり」をしまいやすくなります。
この「行ったり来たり」が、実は結構つらいです。
なので、このことを話して思うのが、
「正反統合ワーク」という、僕が個人セッションの1メニューとしてお伝えしてるワークが、やっぱり役立つということです。
僕らは肉体とマインドを持っているので、
「物に何かを感じてしまってる自分」にも、逆に「手放した先のワクワク自分」に、どうしても自己同一化しがちです。
この粘着力は、なかなかに強いなと僕はこれまで経験してきました。
それが「正反統合ワーク」だと、
「感じている自分」でもない「手放してワクワクしてる自分」でもない、「観照者」の視点に、なんだか手品みたいに、「あ、これか!」って体験的に立つことができます。
この観照者を「体験」できるのが、このワークはすごくいいところだと思っていまして、今日は改めて断捨離をしていて、苦しかったり、なかなかスピードが上がらないって人にはお勧めしたいなと思いました。
なので、ちょっと話しましたが、「正反統合ワーク」についはの個人セッションページに概要を載せていますので、気になる方はチェックしてみてください。
あらゆるシーンで使えるので、一度覚えてもらうと一生の財産になると思います。
まとめ3:断捨離=三次元に「幸せな現象はない」と知る体験学習
それから、やましたひでこさんが「幸せな現象はないことに気づいた」とおっしゃっていたことにも、
ここで触れておきたいと思いますが、これは本当に本当ですよね。
さっき朝焼け自体が、僕らをいい気分にさせるものじゃないと話しましたが、
外にある「物」「出来事」「人」そのものが、幸せそのものではないんですよね。
僕も断捨離しててもすごく思ったんですが、
たとえば、日記を(僕の場合「日誌」みたいな感じですが)処分しようと思ってちょっと見返してたら、新社会人のころでしたが
自分は「『不幸自動製造装置』でしかないな」と思いました。
人にこう言われて嬉しかったとかか、自信になったとか、自信をなくしたとか、とにかく「外によって自分がある」という記録でしかなかったし、
もっと思えばもっと明るく前向きでいい時代なのに、ネガティブ出身ですから暗い書き方が多かったです。
(僕が記録してたのってほとんど仕事のことでした。もともとは新社会人になった時に、尊敬するクライアントの方が、ずっと10年日記をつけていつでも見返せるようにしてるって話に感動して、僕もやろうと思って始めたんですが…今振り返ることができたので、これはこれでよかったんでしょうね…)
- 全くの不用品を捨てることも、
- 「これはちょっととっておきたいかも」ってなる物を捨てる時も、
- 捨てにくい思い出の品を処分するときも、
三次元に「幸せな現象はない」ということが、体験学習できるのが、断捨離だ
これも学ばせてもらいました。
ということで、
- 統合ワークが辛い時にもやりやすい「逆統合」
- エゴの交換でおわらない。統合・宇宙意識・本質に還る=「本質」として見続けることを忘れない
- 未来・シンボルにつながる・統合された自分で作業する
といった断捨離実践の気づきや注意点ということでシェアさせてただきましたが、
いかがでしたでしょうか?
今回は以上になります。
(おまけ)災害、備蓄について
そして、備蓄について。
スピリチュアル的に完全考えてしまうと、僕らは3次元的に何かをするから生きていけるわけではないので、「何にも準備しなくていい」となっちゃうんですけれど、
僕は懐中電灯とか、水、トイレットペーパーとか少し余分に置いています。
食料は玄米とカセットコンロがあるので、電気・ガスが止まっても水がある間は食べられます。
僕は不食へ進む過程にあって食べるものがなくなった無くなったらそれでもいいかなと思っているので、食料はほぼ備蓄していません。
体と波動にはよくても、お腹が減って慣れるまではつらいでしょうけれど(笑)
これが前の記事で話したインドの聖者、他にも不食の弁護士として有名な秋山先生なら、水も不要ですけれど、
もし僕が水を飲めないとなると相当恐怖を感じます。
(秋山先生もほとんど眠らなくても平気なんだそうで、避難所のようなところに行っても無理に寝なくていいとしたら、避難しても気が楽そうです。)
なので、恐怖を感じている以上、やっぱり3次元的にも苦痛を映し出しそうですので、
僕の場合は水ですし、食べものがないと困るって方は、意識を整える意味で適度な備蓄はやっておくといい気がします。
以上、僕の備蓄に対する考え方ですがおまけで紹介しました。
心理学・物理学・スピリチュアルを統合した3講座を運営しています。
(1)まずは自分軸を取り戻す(眠りを卒業する)
★「質問の本質の授業」オンライン講座
本質・ワンネスを思い出すベースとなる講座です。
5次元意識・時間の使い方、現実創造もカバーしています。
質問を通じて多次元意識も思い出します。
まずはここから。眠りを抜けないと始まりませんよね。
(2)ポジティブ・ネガティブ、光・闇…二元性を超えた「純粋観照者」を体験する
★正反統合ワークオンライン講座
ワンネスに還る前に通常通るのが「純粋観照者」です。
人間意識とはまったく違うクリアな意識を思い出します。
「これまで自分がいかに小さかったか!」ワーク後に驚かれるでしょう。
(3)そしてワンネスを思い出す、ワンネスへ浸る
★ワンネス体感ワークオンライン講座
そしてついにワンネスへ…「純粋観照者」さえも包含する根源の意識を体感します。
一度味わったスウィーツの味は、肉体次元でもいつでも味わえるようになります。
「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります。