スピリチュアル

満開の梅に見る<非二元・ワンネスへ還る道>穂乃子さん「よひとやむみな」メッセージ、正反統合について

今朝、

「梅の花」がほぼ満開なっているのを見て

「かわいいな、綺麗だな」
と思いつつ

「満開の桜」と比べる自分が生じた。

1秒くらいの時間。

「桜なら満開時にもっとこう…」とフレーズが湧いて

その言葉にならない意識の少し下の層で

「桜の方が花がもっと密集して、枝ももっと見えないくらいになる。僕はその方が好き。」

と、

言葉とか明確な思考になる以前意識の振動があった。

さらに1秒くらい時間だった。

僕は花を見る愛でる習慣があまりなく、

見るとしたら桜くらいだった。

しかもエンタメ的にごく一般的な花見の具としてしまっていたり、

仲間と集まる理由、お出かけする口実みたいな…本当失礼な…

その美しさをそのまま受け入れるというよりも、

自分好みの桜を探して名所を巡ったりしていた。

それは自我的な満足という

すごく限られたフレームの中で、

より大きく満足できる何かを探すこと。

そうして確かに満足できることも多い。
本当に感動してしまうような桜の名所って
都内だけでも相当ありますよね。
改めて日本って良いところだと思う。

僕の場合、

それはその瞬間瞬間に出会う桜・梅を

そのまま愛でる感じじゃなかった。

「まだここは6部7部咲きくらいだな」と

満開時と比較したり、

「あの場所のあの桜に比べるとちょっとな〜」

とか。

より大きな自我にとっての感動をできるかどうか

桜ににも求めてしまっていた。

現状(反)から理想(正)を求める

完全に二元性内の動きだ。

これは自我のデフォルト設定
人によっては
美術館巡りかもしれないし、
ネットフリックスで次の映画、次のドラマと求めるかもしれない。

より大きな感動、
恍惚となる瞬間、
至福の状態を求めて。

希求すのは
それらのバイブレーションと一体になる、
振動そのものとなること。
根源のエネルギーそのものになるような、

少なくとも日常の思考にまみれることはなく
自我を消失したような体験を希求する。

人によっては、

探し求めたスイーツの最初の一口目で
自己が完全にお休みするかもしれない、

至福のランチかもしれない、

これだ!というワインとか日本酒かもしれない。

現状に何かしら不足・欠け(反)を感じ認識し、満足・理想(正)を求める。

一つの満足を得たら、さらに大きな満足を求めるデフォルト設定

でもこの設定は実は正しい。

恍惚、至福の状態、バイブレーションに浸りたい。

あらゆる衝動、思考、感情、症状
突き詰めると根源のバイブレーションそのものになるために
起こる。

本当の私とはワンネスそのものだから
それを思い出したい。
と衝動が湧く。

浸りたい。
統合したい。
還りたいという希求が、
日常で細やかに正反・二元性を認識するよう
設定されている。

自我をなくし、至福に浸るまで。

自我がないことが実は通常至福だから。
この宇宙、世界、根源と個人、この仕組みは
本当によくできている。

人によっては

それをビジネス的な成功で、
その人にとっての理想の家庭を築くことで
健康になることで到達しようとする。

すべてからへ移行しようとする

意識の動きだ。

そこで
3次元的に成功してしまったら
二元性の中で満足してしまったら根源へ還ることを忘れてしまうから
根源は僕らに「禍」を用意してくれる。

 

禍も福もすべては
実は恩寵といえるし、

宇宙の応援とも、

めっちゃご招待されるとも、

めっちゃ愛されてる

と言ってもいいと思う。

質問の本質の授業的には例えば

  • これはどんな宇宙の応援になっているんだろう?
  • どのような招待になっているんだろう?
  • これはどれほど愛されている証だろうか?

と言う話だ。
(目醒めと質問の関係)

穂乃子さんが
著書「よひとやむみな」で

というものはない

禍を見る目を変えてみよ。

禍は神の言葉じゃ。

汲み取ってくれよ。

と言っている。

ここで「神」とは、

「本当の自分」「自分の深淵な叡智」とか

読み替えても良いと思う。

本当に
僕ら思ってきたような「禍」というものは、
確かにないと思う。

でも、ここまで考えても

僕らは、
まだ本当には
気づけていないかもしれない。

正真正銘、

およそ全ての、

僕らが認識できる思考・感情・衝動

実はワンネス、根源との統合の希求であることを。

(ここで実は、既に二元性が如何にイリュージョンかわかり得る)

それが腹落ちするには

二元から脱することが土台になる。

「禍」を「禍」でないと

本当に腹落ちしているだろうか?

その前に二元性の中で
いくら行動しても、止まっても、手放しても、
それ自体ワンネス(根源に還ること)は、無関係だと

知識としてじゃなくて、腹落ちしているだろうか?

そのためには
どれほど僕らの日常が正反・二元性にまみれているか?
本当に腹落ちすることから。

その「まみれ具合」がいかに笑えるくらいか?

いやお腹がよじれるくらいの爆笑だと
僕はわかっているだろうか?

それは、

数日間お腹が筋肉痛になるくらいの爆笑だ。

二元を超える、頭ではわかる。

「二元を超える」「非二元」とかいうけれど、
心底、正直に、本当ところ何なのだろう?

二極を眺める、俯瞰すること、これに思考がない、自我ない状態。
自我なし・個人なしの俯瞰、観照、純粋観照。

それは投影された映像ではなく、
スクリーンに気づいていること。

漫画のコマ内の世界(=この3次元世界)から、
コマの外の余白で在ること。

日常の僕らの意識に湧く
正反・二元性に細やかに気づく、
まず純粋観照意識に入ること。

これは

映像を投影する光源
世界を映し出す根源に還る、ワンネスへ還る、
極めてスタンダードな道だ。

実は誰しも潜在的に希求していること。

 

 

今朝、

梅の花を見ながら放ったエネルギー、
時間にして1秒+1秒の2秒くらい、
梅の花に申し訳なく思った。

彼女を反として、正を志向してしまった。

 

正反は、二元性の中で生きる身として、
何かと正を望む。
正反比較することは常に起こる。

 

機能として必要だったり役立つことは多々ある。

だからこそ
例えば雨を避けるために傘をさすこともできる。

でも今朝の彼女に対しては全くの不要なことだった。

あとまだ暗かったから。

明るければ写真を撮ったのにな。と湧いた。
これも正反、二元性。このくらいはOKという思考も湧いた。

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「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります。

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