目醒め・統合ワーク

コロナワクチンどうしよう?小林正観さんの宇宙観2つ、並木良和さんの光と闇の話、正反を超えた本質について

今日は、

  1. 現世ではまったく相容れないようにも思えることだって、統合・超越し得て、本質に還れるってチャンスでしかないって話と、
    →例えば、ワクチンを打つか、打たないかといった、悩ましいことであっても)
    →さらに、どのようにして、僕らにその超越した、統合された視座に立つ可能性があるか?ということと
  2. ↑のために、僕にとってはすごく支えになってきた小林正観さんの宇宙観2つ

を合わせて、話たいと思います。

1正と反、光と闇…二極は超越可能

まず「ワクチンを打つか打たないか?」って考えたりするときに、

  1. 僕らが、小さな1人の個人にがっつり入っていること自体に気づくことと
  2. 何を正するか何を反とするか、なにを光と思うか闇と思うかは、結構、実は、流動的だ、と思い出すこと

です。


小さな1人の個人にがっつり入っていること自体に気づく

それって、この小さい自分が正だ反だと判断してるからです。
もし、僕らがブッダの意識なら、またはキリストの意識なら、こうした判断は大きく変わるはずです。

だから、
この僕という、小さなマインドは、この肉体がどんな設定の人生を経験するかによって、ワクチンについてどっちの立場をとるか、容易にすりかわっちゃうだろうということです。

例えば、もし
僕が医師や看護師だったりでまさに防護服を来て患者さんの治療にあたる立場だったり、
厚労省でワクチン担当部署で関係する仕事だったり、何処かの保健所で土日なく働いてる、夏休みももちろん無かった、体力も限界だって立場だったり、
大学で公衆衛生とか、感染症学を研究してたり、
観光業とか飲食の仕事をしてて、もし近しい人が「ワクチン受けたくない」って言ったら戦うかもしれませんし、

逆に
過去に何らかワクチンを打ってひどい副反応か、アレルギー反応があってトラウマチックになってたら打ちたくないって思うでしょうし、
何か危険性があるって情報にたくさん触れてたらワクチンはNGって印象を持つでしょうし、

(僕もワクチンじゃないですが食物アレルギーで死にかけたことがあります。
あの料理に自分がダメなアレルゲンが入っていると知らずに全部たべちゃって、しかもそれ友人のレストランだったんですけれど、アナフィラキシーショックをご存知の方だったら、これでどんな悲惨なことが起こるか?想像できると思いますが…)

もし
僕がそんな立場なのに、自分の家族とか友達が政府とか自治体の人でワクチンを推進する立場にあって、絶対受けなさいって強要されたら戦うかもしれません。

ワクチンは大丈夫ってデータをいくら見せられても、
「数字が0.0何%とかだから良いわけじゃないって、だって、自分が当たったら自分の中では100%だ!」っていうかもしれません。

何を正するか、反とするか、光か闇か?判断は流動的だと思い出す

でも、もし僕が純粋な魂の状態で、
たとえば、

  • ガンジーとか、マザーテレサをまったく同じ環境に育つ肉体に入って、まったく同じ経験をしたら、彼らに近い行動を取りそうですし、
  • もし、アドフル・ヒトラーと全く同じような幼少期・青年期を生きる肉体に入ったら、やっぱり彼に近い思想を持つだろう

と思います。

何を正するか何を反とするか、なにを光と思うか闇と思うかは、結構、実は、流動的だと思うんです。

僕らの肉体体験(見かけの)の本当の大きさ(or小ささ)は?

だから、僕らが肉体をもって生きることの、本当の大きさをできるかぎり思い出そうとすることは、ひとつのポイントと思います。

例えば僕は、子供の頃って学校のトイレで「大」をするのが死ぬほど恥ずかしくて便秘がちな子供でした。
若い時って誰でも例えば、新入社員の頃も小さいミスをすごく気にしたり、誰かと比較して嫉妬をしたり、でも上司の意識に入ってみたら、「これ、全然いらんな」ってわかったりします。

もし自分が80代、90代でそれを振り返ったら微笑ましく思えたりするはずです。
そういうことはがっつりそこに入り込めるからですが、
その時は「大問題だ!」と思っても、あとから振り返ると小さかったってことありますよね。

なので、自分の本質は肉体経験を超えてることを、今は思い出せないとしても、できるだけ想像はしたいです。
想像していくと、あるとき、他次元の記憶がふっと見えるかもしれません。

それで、そう気づくたびに、本当は、これが正だ、反だ、光だ・闇だ、を超えた意識が本質なんだって気づいていきます。

そして、いずれ肉体を脱ぐときに振り返ったとしたら、もっと小さくて、天国から振り替えたらもっと小さく思えて、
天国からすると、ワクチンのことも、なんであんなに家族で戦ったんだろう、でもその時は必死だったな、って思うだろうと思います。

そうはいっても、肉体を持ってる限りは、今ここの次元では、どう考えても軽くは扱えないんです。

実際感染することだって起こり得ますし、感染したら重症化しないとしても絶対しんどいです。
今の感染力だと家族全員で大変な目に遭いそうですし、コロナの影響でお店を畳むとか、仕事を変えなきゃいけないとか、本当辛いですし

例えばこの一年半、保健所の職員としてまともに休めなかったり、
アレルギーで死にかけたことがあって、いくら確率が低いとは言われても、軽視はできないです。

だから、
本当並木さんが言われるように僕らは「光と闇を超えた光」であると、
また、僕の表現では「正反を超えた統合でしかない」し、ワンネスでしかあり得ないのは真実
ですが、でも自分でこれを確かめるまでは、なかなか悩ましいところは出てきます。

2小林正観さんから学んだ宇宙観2つ

でもそこまで自分で確められるようになるまでに、
僕はいろんな先生に教えてもらってきましたけど、その中でも、これまでずっと助けてもらってきたアイディアが、小林正観さんの宇宙観です。

小林正観さんから学んだ宇宙観①未来は確定的に存在している

その一つは、「未来は確定的に存在している」っていう話です。

それは正観さんのご家族にあるできことが起こるビジョンが見えて、それは決して起こるはずがないことが、起こったって言うエピソードを何度も聞きました。

(それはプライベートなことなので具体的に話すは今回は避けますが、
例えれば、全くひょろひょろな肉体の僕が、今から体を鍛えまくってラグビー日本代表になるとか、プロレスラーになってアメリカで戦うとかくらい、これあまり上手い例えではないですけど。
とにかく、「確かにそれはありえないですね」っていう話でした。それが実際、正観さんのビジョン通りに、ご家族に起こったんです)

それから、正観さんは人の未来は、普段はあまり見ないようにしてて、「人に頼まれても確か断ってた」と言ってたと思います。でも興味が湧いて見た60例すべてで、ビジョン通りの未来になったのを見て、
未来は確定的に存在してるっていっていました。

これは、確かに僕も感じるところがあって物理学的に・心理学的にも納得なんですが、なかなか証明はできないんですし、
それが真実だとしても、日々の生活は実際あるわけで、仕事をして、お腹が減ったらご飯は食べますし、疲れたら体を休めます。

未来は決まってるなら、食べなくていいとはならなくて、日常は普通にあって、現実に対処します。
(見かけとはいえ)

でも、少なくとも僕というこの小さな個人には、普通に現世を生きるのは、怖ったり不確実性に負けそうになるので、
「全部決まってるなら、どうせならもうちょっと楽に生きよう」ってくらいでちょうどいい感じになります。

僕は本当に助けられてきました。

実際、小林正観さんの意図としても、僕らがもっとリラックスして頑張らずに生きられるようにいうことで、話をしてくれていたと思います。

あと、
僕は何となく自分の寿命ってあまり長くないって直感してるんですけれど、逆に言うとそれまでは死なないということです。

正観さんも亡くなる少し前の講演会で、同じようなこと言っておられました。
正観さんの身体は医学的な数値からはもう生きられないはずなのに、移動は車椅子で、講演を続けられていました。

だから、もし僕が、満員電車に乗っていて会社組織に勤めて、まだワクチンを打ててなくって立場だとしたら、
家で育児とか介護もしながら看護師として実際治療にあたる立場なら、いつ感染するかわかんないって怖く感じるでしょうし(今予約するのって大変だったりしますよね。)、
もし観光業とか飲食をしてたら、ぜひみんなにワクチン打ってほしいって思うでしょうし、

逆に、僕がそれまで得てる情報とか経験からワクチンは打てない、でも感染は怖いなと思ったりしても、
小林正観さんの観方を幾らかでも取り入れると、

「たぶん自分も家族も寿命までは死ないいんだろう、でももし寿命が近いならどうあっても死ぬだろう。」とちょっと力が抜けます。

だからといって何もしないわけじゃないですけれど、その立場に応じて結局のところ行動する・しないを判断しますが、
ただ、正観さんはもし寿命なら、何をどう変えても避けられないとも言ってました。

子供が交通事故に遭った時、私が見ていれば、遊びに行かせなければって僕らは絶対後悔しますけれど、正観さんは、「たら・れば」(〜したら〜すれば)は無いって言っていました。

だから、僕も、

「もう、どうなるかわからないけれど、その時できることを、できるだけ落ち着いてやりろう」

って、いつも思ってきました。
それでもこの小さな身体とマインドはめっちゃ揺れてきましたけれど。

今、僕に物理次元でできることはすごく小さくて、じっとしてることくらいです。
去年の緊急事態宣言では、髪を切りに行かなていいように頭をぼうずにしてましたが、今は逆に切らずに伸ばしています。
去年の感染力だったら、じつは美容院くらいはリスクが低かったんですけれど、その時は今のデルタ株くらいの感染力を僕は去年予想して、美容師の人に迷惑はかけないようにと思ってました。
今こそ感染力が強いので、まだしばらくは伸ばしっぱなしにしとこうと思っています。

小林正観さんから学んだ宇宙観②すべては宇宙任せ

小林正観さんの話で、もう一つ、正観さんは、全ては宇宙任せということもいってました。
僕はこれにも影響受けてます。
それだと、当時は特にいいなと思って、結果的に変な力が入らずに、調和的に生きられるかもって思ってました。

でも、実はこれは、違ってて、本当は「宇宙任せにしていこう」ってものじゃないんですよね。
そうするも何も、じめから宇宙任せ以外の何ものでもないって、当時はわかりませんでしたが、今になってそういうことだったと思います。
(ワンネスでしかない)

このことは自分の中で、一定のやり方で、確かめることができます。
このことはこれから順次シェアしていこうと思っています。

でも、こうして正観さんの教えがわかるようになっても、
小さい僕の中では、この動画も、「どう見られるだろう」って気にしたり、いやだれか1人でもインスピレーションにしていただけるならいいじゃないかって、
自分の中でも日々小さな戦いはまだありますが、これ、どっちも僕じゃ無いんですよね。

だから、色々出てきても、前よりは眺めていられるようになりました。

そして、小さい「彼ら」を、超えた視座に自動的に立つ感じが増えてきました。
その自動化のためのワークは個人セッションで具体的にお伝えしてきましたけれど、今、もっと多くの方にシェアできるうように、準備をしています。

僕もだんだん、個人が少し薄くなって、皆さんもそうだと思いますが、全体性に目覚めつつあって、
それは並木さんの表現では、分離した光と闇じゃなくて、両者を統合したもともとの光に浸透していくような、僕はまだその過程ですけれど、
だんだん、いわゆる戦いに、正か反かどちらが正しいかって言う視点には、入り込みにくくなってきました。

でも、まだ小さな個人として、どんな感情でも感じます。
前みたいには、自己同一化はあまりしないですが、距離がある、スクリーンがあるって感覚がましていますが、

例えば、この小さな僕として
このマインドがワクチンをどう捉えているか?を話すと、
結構僕は緩めに捉えています。

というのも、
僕のこの体が経験してきた、実際子供の時から闘病もしてきた範囲では、精神的なこと、特に心理学によって治癒が進んだって経緯がまずあります。

薬も、ワクチンも大事なんですけれど、それと同じくらい自分のマインドの状態、波動の状態が大事じゃないかなって経験上、思っています。
僕もずっと病院にお世話になってきましたし、子供の頃は現代医療のお医者さんになりたいって思ってました。

だから先生とか看護師とかまだちょっと憧れがあって、薬・治療そのものももちろん大事なんですけれど、自分の精神状態も、2倍3倍、5倍くらいは治癒するかどうかのウィエイトを占めてました。
僕の狭い範囲の経験ですが。

でも似たような事例は本当たくさんあります。
例えば

  1. あるお医者さんが、重い喘息患者の人に、新しい薬ができたからといって処方したら、確かによく効いてこれはすごい薬だってなったんですけれど、
  2. お医者さんは「本当に効いたのか?」確かめたくなって、今度は同じ薬だっていって患者さんに偽の薬を与えたら、患者さんは今回は効きが悪いって文句をいったそうなんです。
  3. 実は製薬メーカーが最初から、間違って実験用の偽薬を送ってしまっていた。
    実は、1回目も2回目も効果がない偽薬だったって話があります。

だから薬を与える人も、飲む人も効果を確信しているかどうかが、すごく大事って話がありました。
僕の経験ともよく符合します。

難病を治せるお医者さんって、確信とか自信に溢れてますよね。
マインド面が充実されています。
治療方針に加えて、その患者さんに対するスタンスって大きいなって思います。

僕も小児科に通ってるときを振り返るとすごく思います。

だからもし僕がワクチンを受ってもらうと信じて疑わない状態で、実際にはただの生理食塩水を打たれても、結構効果が出ちゃうんじゃ無いかと思っています。
打って安心するって誰でも多少はありますよね。
もちろん、打ってすぐに免疫ができるわけじゃないと知ってるんですけれど、ワクチン会場に行って、ちょっとドキドキしつつ、針を刺してもらって、何かの液体を入れてもらったら、ある種の達成感を感じてしまいまいそうです。
それが実は水だったとしても。

なので、ワクチン打つかどうかで、闘いになりうるのは僕的にはどちらもよくわかるし
世の中のワクチン推進派、反対派の方々にとっては僕はどっちつかずな、はっきりしろって形に思えるかもしれませんが、
どうしても完璧なワクチンって作れないので、打ってもらっても、極端ですが、全然安心できなくて心が揺れまくってるとか、
もしジャンクフードばかり食べて、すごく忙しくして、ろくに睡眠もとらないで、そもそもの免疫力が下がった状態で、手洗いもしないとしたら、効果は激減しそうです。

だから、ワクチン打つにしても、プラスして小さい個人ですけれど、その意識とか行動も、大事で、
でも正観さん的に、最終的には宇宙任せだよねって、データもこの個人に入ってますので、3次元の言葉で表現するとしたら、全体的に緩い捉え方、流動的な捉え方になっています。

とはいえ、僕らは全員肉体があるわけで、やっぱり病院勤務とか、飲食・流通の仕事とか、保健所の方とか、まして海外でもっと衛生的にも条件がきつい方も、どれだけ大変か想像もしきれないです。

僕はたまたま感染リスクは極めて低い生活をしているので、誰とも会いませんので、今はまだ、出張の予定もないですし、
今はまだ、みなさんの生活上必要だと思うので、お譲りして、
僕が受けるなら、全国国民、全地球市民の最後でいいくらいかなと思っています。

あとはこうしてシェアをさせていただいて、たった1人でもインスピレーションにしてただける方がいらっしゃればと思います。

以上、今回は、
こういう悩ましい時こそ、正反・光と闇、両極を超えた意識に、実は自動的に引き寄せられるんですが、僕らの統合が進むということ、
僕がずっと助けてもらてきた小林正観さんの宇宙観、人生観についてシェアさせていただきました。

最後までご覧いただいてありがとうございました。

各講座について

心理学・物理学・スピリチュアルを統合した3講座を運営しています。

(1)まずは自分軸を取り戻す(眠りを卒業する)
★「質問の本質の授業」オンライン講座

本質・ワンネスを思い出すベースとなる講座です。

5次元意識・時間の使い方、現実創造もカバーしています。
質問を通じて多次元意識も思い出します。
まずはここから。眠りを抜けないと始まりませんよね。

(2)ポジティブ・ネガティブ、光・闇…二元性を超えた「純粋観照者」を体験する
★正反統合ワークオンライン講座

ワンネスに還る前に通常通るのが「純粋観照者」です。
人間意識とはまったく違うクリアな意識を思い出します。
「これまで自分がいかに小さかったか!」ワーク後に驚かれるでしょう。

(3)そしてワンネスを思い出す、ワンネスへ浸る
★ワンネス体感ワークオンライン講座

そしてついにワンネスへ…「純粋観照者」さえも包含する根源の意識を体感します。
一度味わったスウィーツの味は、肉体次元でもいつでも味わえるようになります。

「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります。

POSTED COMMENT

  1. mas より:

    とても深いお話しをありがとうございました。簡単にコメント出来ないくらいのお話しでした。家族の懇願により心揺れており、家族の想いがわかるだけに、自分の決断にさえ揺れていたところでした。私のように今まさに悩んでいる者にとって、とても助けになるお話しでした。本当にありがとうございました。

    • 蝸牛 より:

      masさま
      お読みいただき、またコメントくださり有難うございます☆m(_ _)m
      なんらか役立てていただければ何よりです。

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