ドイツのカトリックの聖女・聖痕印刻者であるテレーゼ・ノイマンさん(Therese Neumann)
どのような生涯を送って、高次の存在、神とどのように関わっておられたか、『受難の旅人』(カール・デンライトネル著)特に、僕が感銘を受けた(本当は全文ですが)ほんのいち部分を紹介します。
受難の旅人テレーゼ・ノイマン抜粋
僕たちが「内なる医者」と言うワークを実践可能となるとき、程度の差こそあれ、
「奇跡の聖女」と言われるドイツのテレーゼ・ノイマンさんのあり方・意識の状態に近づくことになります。
テレーズさんは、
長年の寝たきり状態・失明といった、壮絶な難病に苦しむ中にあっても、
『私は生きることも、死ぬことも、丈夫なのも病気でいるのも、皆、楽しいことです。でもそれは皆、神様がご存知です。』
そういうことを言う方でした。
すべての病苦は神が与えられたの
ある高次元の存在(フランスの聖テレジア)が、テレーゼさんの「症状を和らげてあげますよ」と語りかけているにもかかわらず、「苦しいことも喜びです」と答えるシーンが何度か、「受難の旅人」の中で紹介されています。
「すべての病苦は神が与えられたのであって、この病苦がさらに神に近づける、よすがとなるものです。」
「私は人間はどんな日々を送るのが、み心にかなう道かは存じません。ただ神様だけがご存知でいらっしゃいます。苦しみも、喜びも、全て神様にお任せしてあります。」
だからこそ神は医療によってテレーゼさんが治癒する事は許しませんでした。
が、サレンダーの結果、無条件にすべての症状から癒されると言う奇跡を体験させたのではないか、と僕は受け止めています。
僕は全くテレーゼさんのようにはいきませんが、
ワーク「内なる医者」を通じて、この神と僕たちの関係のほんの一旦は体験してきたと思っています。
「内なる医者」と言うワークは神へのサレンダーが大前提となるからです。
その結果、内なる医者=叡智=本質の自分は、変容・治癒を許すようです。
「受難」はより高い神の干渉が世に存在することを世界の人々に知らせるため
高次の光はテレーザさんに
「あなたがそんなにも献身の念の厚いのを救い主は深くお喜びです。今、死ぬ事は許されません。あなたが身をもって、生と死とは高い権威のもとに存在することを世に示すために。」
と語りかけます。
テレーザさん臨終の床から全く回復から、元気に起き上がったのでした。
「より高い神の干渉が世に存在することを世界の人々に知らせるためである」
「受難によってのみ彼女は自分の犠牲の職務を最も良く遂行しているのであります。なぜならば「いかに輝かしい説教も苦難の犠牲に及ばない」からであります。」
僕らに高次の存在、神の存在が信じられないとしても、
今でも肉体の潜在能力・叡智、生命の神秘くらいならいくらかは信じられるのではないしょうか。
ではそこからスタートして、3ヶ月後か、半年後か、1年後、少しでもその可能性に浸ることができたらどうでしょう。
内なる医者の実践に、僕らも近づけるのではないでしょうか。
テレーゼさん男性顔負けなほど頑強な肉体の持ち主だった
テレーゼさんはもともとは男性顔負けなほど頑強な肉体、体力の持ち主でした。
「75キロの荷物を担いだまま一休みもせずに、5階の倉庫まで登ることができました。」といいます。
僕は30キロの玄米を運ぶので精一杯位だった記憶があるので、75キロと言うのはちょっと信じられない位です。
そんな頑強で働き者のテレーズさんなのに、
ある時から、数々の難病を経験することになりました。
何年もの寝たきり・失明から奇跡的に回復
寝たきりの状態は何年も続き、失明だけでも4年間経験されました。
その間、妹さんが看病されていたんですが、4年ぶりに妹の姿を見たものですから、最初は部屋に「知らない女性がいる」と驚いたそうです。「すっかり成長した妹の姿が、最初は誰だかわからなかった。それは声を聞いた瞬間だとわかった」といいます。
視力も、寝たきりの状態も、その全てを医療に頼ることなく、神の光に癒されると言う体験を繰り返しされました。
しかもその間ほとんど絶食、水分も取らない状態でした。
テレーゼさんほどではなくても、「内なる医者」オンラインコミュニティでは、すこし波動をエネルギーを分けていただきながら、進んでいければと思っています。
テレーゼ・ノイマンさんの生涯(「内なる医者」ミーティング検討用)
テレーゼさんの生い立ち
- 1898年4月8日、ドイツバイエルン州コンネルスロイト(コナースロイト)に11人兄弟の最年長として誕生。
両親とも勤勉・誠実。素朴で、敬虔で、従順で、勤勉で、行儀の良い子供だった - 家計を助けるため7歳から学校後、半日労働を始めた。
- 14歳になったとき、全く家を出て、農場兼旅館のお手伝いとなった。人並み外れて勝気で強い体を持っていたので、75キロの穀物の袋を担いだまま一休みもせずに、5階の倉庫まで登ることができた。「彼女は、どの男も及ばないほどに、鶏を料理することも車を運転することもできました。」
- 少女テレーゼはどんな重い罪を犯したと言うのでしょうか?彼女の信仰深い両親がどんな罪を犯したのでしょう?子供たちのための多くの労苦に対して、両親が当然の誇りを持って、自分たちの労苦が報われたと感じ始めたこの少女が、どうして盲目になり、運動不能にならなければならなかったのでしょうか。
テレーゼが不思議な光に接した時、「神よりの摂理のあることを、世の人々が知るために」と言う声が聞こえました。すべての病苦は神が与えられたのであって、この病苦がさらに神に近づける、よすがとなるものです。
転機
- 20歳になった時、彼女の生涯に転換期が訪れた。1918年3月10日に倒れ、23日後ようやく起き上がれるようになった。左足が動かず、屈んだ体を引きずるように労働を再開した。しかし、地下室や倉庫で倒れているのを妹に発見されるようになった。
- その後、6週間、病院で寝たきりとなった。経済的な負担から無理に退院し帰宅。
それでも働かねばと言う思いから、けいれん発作がいつ起こるか分からない状態で働こうとした。家族は家の内外で彼女が倒れ苦しむ姿を見ることになった。 - 同年10月19日 完全に病床にふせることになった。
- 1919年3月(病にふし半年後)、失明
全身の麻痺、全く耳が聞こえなくなり、その上、頸部の苦痛のため、もう話すことさえ、できなくなった
喉の渇きを訴えるとき、やっと右手で合図することができるだけだった - 「父や母である事は、その手の触れ方でわかりました。
触られるとそれほど痛みが身にこたえるのです。
母も手を触れて娘に苦痛を与えたくなかったのでしょうけれども。そうした中でも私は、神様の愛を絶対に信じました。神様が下さる苦痛を喜んで辛抱する決心を固めました。本当に私たちにとって、神様の愛より確かで真実なものは無いのです。 - 栄養について。
1922年の末、12日間と言うもの、彼女は1滴の水も飲み込むことができませんでした。
1923年以降は、もはや、流動性の食物を数さじをとるばかりになりました。
1926年のクリスマス以来、流動食は、8滴か10滴だけでした。テレーゼはまた、食事を少しも欲しがりませんでした。しかし、母は心配のあまり、流動食を取るように強く進めたのですが、彼女はどうしても取ることができず、全部吐き出してしまう始末でした。 - 病中の態度
こうした、いろいろなことがあっても、テレーゼは実に、冷静であり、いつか神のに裁きの時、純粋な信仰者と認められるならば、全く満足なのです。
彼女は、すべての人間として歩むべき道、すなわち、神と教会との掟に従う道を歩むことしか考えていないのです。
悲惨な病状にもかかわらず、他に類例のないほど辛抱強くよく苦しみに耐え続けています。
それについて彼女は「私は人間はどんな日々を送るのが、み心にかなう道かは存じません。ただ神様だけがご存知でいらっしゃいます。苦しみも、喜びも、全て神様にお任せしてあります。」
と言っています。すべてを彼女は祈りに託しています。 - 床にふしていて、誰も来ない孤独な時間や、物静かな夜中など、彼女の祈りは断片的なことが多く、苦痛のための嘆息であり、黙々のうちに自分の魂を神のみ前まで引き上げる努力と言うべきものでありました。
1922年のクリスマスに、彼女は「私がこの世に生きながらえていく意義は何もありません」と言ったことがあります。 - しかし、彼女は自分の苦痛に加えて、なおその上に他人の苦痛をも引き受ける気にもなったのです。
ある神学者が首の病気で自分の目標が達成できなくなりかけたことを聞くと、その病気をも引き受けました。1922年、彼女の父がリウマチにかかるや直ちに、その病気を見に受け継いだので、父はまもなく働くことができるようになったのです。
善良な両親は百方手を尽くして、病状の悪化を防ごうと努めました。しかし、いかなる方法も一切無効でありました。
回復
- 視力回復
1923年4月29日、朝6時出かける父に声をかけられたが、失明のため、父を見ることはできない。
しかしその直後
「急に私の目に光が差してきました。両手が見えました。白い夜間用のジャケットも見えました。『まぁ、私は夢を見ているのではないかしら!』と独り言を言いながらあたりを見回しました。壁にかかっている聖画も見えたではありませんか。久しい年月別れた、愛する旧知に巡り会ったような、驚きと喜びでいっぱいになって、しげしげと聖画に見入りました。」
そこへ1人の見覚えのない女性が入ってきました。『まぁ姉さん!』と言ったその一言を聞くと、それが誰なのか理解できました。私が長らく失明している間に、妹が、こんなにも成長していたとは、少しも考えられなかったのでした。 - 4年と1ヵ月の間、私は全く見える世界から隔絶されていたのです。盲目になる前、私は見るということについて、少しの不思議も、感じませんでした。当たり前のこととしていたのでありましたが、今になって初めてものが見える、ということが、いかに素晴らしいことであるかということを、そしてそのことについては、日々神様に感謝を捧げるべきであることを悟りました。
「聖テレジアが列福された日です。きっと彼女が私たちの不幸を助けてくださったに違いありません。」 -
彼女は特に自然界の中で神と交わっていました。牧場や森や、野原で働きながら、どの小さい草を見ても、どの茎を見ても、どの樹を見ても、神とその永遠性とを連想しました。彼女が最も好きだったのは刈り取りの時でした。その時こそ何者にも邪魔されずに、絶えず神と語ることができ、神の慈愛を深く思うことができたからでした。とにかくテレーゼは常に、すべての小さなものに真の喜びを感じ取った事は確かです。
-
湾曲した足が正常になった
ずっと湾曲し化膿し骨まで侵され、足の切断は時間の問題と思われたころ、
(小さい聖テレジアの墓に触れ、そこで祝別された薔薇の葉を包帯と共に足に巻くと)2、3分たつか、たたないうちに、患部に強いかゆみが感ぜられ痛みは全く消えたではありませんか?
そこで、直ちに、妹が血膿と敷布にまでこびりついていたほうたいを解いてみますと、不思議にも、足は完全に治っています。新しい薄い皮膚が形成されていました。 - すべての人は神のお助けを呼び求めているにもかかわらず、なぜ神は、その一人ひとりに平等に助けを与えてくださらないのだろうか?
このように神は個々の場合に時々、特に顕著な方法で、ご自身の権威と至善とを示しています。これによって信者の信仰を強めようとされています。
私たちの祈りが聞かれないように見える場合でも、それはただ、私たちに見えないだけであって、実際には、よく見える場合に劣らず、神様の力が強く働いていることを悟らなければなりません。 - 杖にすがって(1925年5月17日)
テレーゼはこう物語っています。
「私は全く床の上に起き上がることができなくなっていたのでした。左足は9ヶ月以上、曲がったまま
左腕はほとんど動きませんでした。
大抵の人は、私が幼いイエズスの聖テレジアの列聖の日には丈夫になれるようにと祈っている、と思い込んでおられたようでしたけれども、私は決してそんな祈りは致しませんでした。神様は私たちに今、必要なことは、私たちよりも神様のほうが、とっくにご存知でいらっしゃることを私は知っています。」
- 「午後5時の礼拝の時間、ちょうど、私はロザリオを唱えていました。その時、突然私の前に光が差してきました。最初私はこの光に打たれた時、びっくりしました。
この光の中から声を聞きました。
『テレーゼよ、あなたは丈夫になりたくないか』と言う美しい声がしました。
私は、『私は生きることも、死ぬことも、丈夫なのも病気でいるのも、皆、楽しいことです。でもそれは皆、神様がご存知です。』と答えました。
声はまた私に『あなたは、もう一度立てるようになったら、さぞ嬉しいことでしょうね。』と尋ねました。私は『神様のなさることでしたら、どんなことでも嬉しゅうございます』と答え、
何か新しい苦しみ、それさえ楽しみです。しかし、1番の喜びは救い主です、と答えました。けれども、声は続きました。
- 『あなたにとっては小さい喜びを受けることが許されます。あなたは今、身を起こして座れますよ。私が手伝ってあげましょう。』
『しかし、まだあなたは、たくさんの苦しみが許されています。医者もあなたの苦しみをどうすることもできますまい。けれども決して恐れる事はありません。私は今まで、ずいぶんあなたのお手伝いをしましたが、まだこれからもお手伝いをしましょう。苦しむことを通してのみ、あなたは信仰と犠牲の務めをもっとも良く発揮し、それによって司祭の手伝いをすることができるのです。どんなに輝かしい、説教などよりも、苦しみが、ずっと多くの人々の救霊になるのです。私は前に、そのことを書きました。』と言いました。
(聖テレジアの小著書を人に借りて読みますと、その中に前述の文を見出しました) - それから、なおも続けて、『あなたは歩くことができますよ』と付け加えました。そして光は消えました。しかし私は全く体に元気を取り戻していたのでした。痛みはもう少しも感じないのでした。」
- 神様が人間にまっすぐな手足を与えてくださったことには、あまり感謝する人は少ないようですが、私は、今度のことで、まっすぐな手足を持った人は、持っていない人に、手を貸すべきであると思います。盲人の杖となり、不具者の介添えとなるべきではありますまいか、あのこと以来、私は今も歩けるのです。」
(ここでは杖にすがり歩ける状態に) - 単独外出
「あなたは今こそ、他人に手伝ってもらわないで歩けますよ。肉体に感じる苦痛は減るでしょう。しかし、苦しみはこれからです。それでも人々に神を信頼するように、励ましなさい!」
あなたは完全に自分の意志を殺しなさい。いつまでも今のままに子供らしく素直でおいでなさい。」 - すでに化膿していた盲腸炎は消えた(1925年11月13日)
「あなたが良い献身と、苦しみと、喜びのうちに受け入れている事は、何より喜ばしいことです。神様のみ摂理を世の人々に知らせるために、あなたは今、手術を受ける必要はなくなったのです。しかし、まだ、あなたには苦しみが数多く待っているのですよ。それが皆、人々の救霊(たすかり)のよすがとなるのですからね。あなたは完全に自我を殺さねばなりません。いつまでもそのように、子供らしく素直でありなさい。」
聖痕印刻
- 36年間もの長期にわたった聖痕印刻
キリストの傷痕のことでありまして、それは十字架に釘付けられたために、手と足と、それから心臓を槍に刺されて脇腹にできた傷のことであります。
テレーゼは聖痕の事など聞いたことも、読んだこともなかったので、このことについては全く無知であったのです。彼女が全く気づきもしない間に現れたのであります。
結び
- かつて盲腸炎からの奇跡的な治癒(1925年11月13日)の前に、光がテレーゼに語った言葉
「より高い神の干渉が世に存在することを世界の人々に知らせるためである」
「受難によってのみ彼女は自分の犠牲の職務を最も良く遂行しているのであります。なぜならば「いかに輝かしい説教も苦難の犠牲に及ばない」からであります。」
血を流す彼女の苦難は、十字架に釘付けられた救い主の愛を、はっきり指示しています。この愛にこそ、人類の救霊はかかっているのであります。
心理学・物理学・スピリチュアルを統合した3講座を運営しています。
(1)まずは自分軸を取り戻す(眠りを卒業する)
★「質問の本質の授業」オンライン講座
本質・ワンネスを思い出すベースとなる講座です。
5次元意識・時間の使い方、現実創造もカバーしています。
質問を通じて多次元意識も思い出します。
まずはここから。眠りを抜けないと始まりませんよね。
(2)ポジティブ・ネガティブ、光・闇…二元性を超えた「純粋観照者」を体験する
★正反統合ワークオンライン講座
ワンネスに還る前に通常通るのが「純粋観照者」です。
人間意識とはまったく違うクリアな意識を思い出します。
「これまで自分がいかに小さかったか!」ワーク後に驚かれるでしょう。
(3)そしてワンネスを思い出す、ワンネスへ浸る
★ワンネス体感ワークオンライン講座
そしてついにワンネスへ…「純粋観照者」さえも包含する根源の意識を体感します。
一度味わったスウィーツの味は、肉体次元でもいつでも味わえるようになります。
「ワンネスに還ったらワンネスそのものじゃないですか?」
その通りです。ただ、ワンネスに浸ったままだと歩くことすら危なくて
人間の肉体体験に戻るには、人間意識とワンネスをブレンドするくらいがちょうどいいんです。
しかし現象界の全てが変わることになります。